騒がしい未来

サッカーやインターネット、旅行、日々のお仕事など、普段思ったことををつらつらと書いていく、高須正和のブログサイトです。 さいきんはtwitterばかり。

CNETの記事で読んで興味を持っていた、amazonのCEO、ベゾズのインタビュー記事を訳しました。

このベゾズ、どうやら「ハッカー気質ありのCEO」見たいな人で、自分のやりかたと、そのやり方で会社を成功させることにメチャメチャこだわっている。
この「こだわり」が、「ネットならではのスゲェサービスを実現させてやる!」という心持から出ているように思え、その部分が金儲けの下世話さをなくしているように思える。

 マーケッターはハッカーたちにmarketroidと言われてバカにされる。これは、自分で自分のやることを決めるんじゃなくて、アンケートだのデータだのをいじくりまわして数字にもてあそばれているからだと思うけど、ベゾズは違う。
多分ハッカー的な、「全身かけてやりたいことをやりたいように」やった結果、amazonのようなサイトが生まれたのだと思う。インタビューの、「自分を信じて疑わない」ぶりは、ストールマンみたいだ。

 自分の中では、「セマンティックweb」の考え方と、このベゾズの「クチコミ指向」みたいなものが、何か妙にマッチする。

この記事「ベゾスの語るクチコミ力」

 ベゾスの記事はまだネット上にあるみたいなので、いろいろ読んでみて、「ネット企業の生き残りはどういう考え方でやっているのか」を、また考えてみたい。

原文はこれ。(businessweek)
Jeff Bezos on Word-of-Mouth Power
http://www.businessweek.com/magazine/content/04_31/b3894101.htm
 私は英語ぜんぜんダメで、エキサイト翻訳に頼りきりだったので、誰かコメント欄でツッコミを入れてくれるとうれしい。

世界的ブランドを、オンラインで増強するには

ジェフ・ベゾスの語る「クチコミ力」

「よりスゴイ経験を顧客に与えれば、クチコミで広まる。それはテレビ広告より影響が大きい」と、
アマゾンのCEO,ベゾスは語る。

amazon.comは、9年前にweb上にweb siteを立てるとすぐに、もっとも知られているweb上のブランドの一つになった。
しかし、2000年を頂点に弾けた、ドット・コムの波に乗ることは、amazonの評判を曇らせた。

それでもベゾスCEOは、彼の考えるサービスを顧客に提供する事を止めず、推進しつづけた。
それはここ四半期の利益と続ける成長だけでなく、市場でのamazonの株価、ブランド価値の増大という形で報われた。

最新のBusinessWeek/Interbrand調査によれば、アマゾンの商標ランキングは昨年22%上昇した。
以下はBezosが最新のBusinessWeekインタビュー「何がamazonのブランド価値を増したか」に答えた抜粋である。

Q.最初、amazonを立ち上げたとき、どうやってamazonのブランドを作ろうとしたのですか?

A.まず、「ブランドを造る最良の方法は、優れたサービスを提供することである」ということを、自分たちのために固く信じました。
顧客は、自分たち(サービス提供者)と対話することによって、「amazonが何者か」というのを知るのです。会社のブランド価値は、個人の評判に似ています。大変なことを多く行うことで、短い時間でも強い印象を与えられます。自分たちは、ブランド構築に近道などないと信じています。

Q.広告はどのぐらい、ブランド構築に重要なのですか?

A.私たちはテレビ広告を行わず、その部分の予算を全部サービスに、たとえば25ドル以上の商品の発送無料、より特徴的な割引サービス、取扱商品の増加等に振り向け、より新しいサービスを増やすことに振り向けました。

私たちは、宣伝費を取り去り、その分をサービスを拡張してより良いものにするために使います。もしも優れたサービスを作れば、顧客は互いに広めてくれるでしょう。クチコミは非常に強力です。

Q.amazonのこれまですべてのパブリシティよりも、クチコミがブランド構築の要だったと思いますか?

A.間違いなく。自分たちが最初に行ったのは、人々が「わかりにくい沢山の製品」から、簡単に目的のものを見つけられるようにしました。目的のものにマークをつけられるようにしました。
もしも人々がマークをつけることが出来なければ、クチコミは発生しなかったでしょう。

Q.どうやってクチコミを発展させたのですか?

A.続けてずっとクチコミを増やしつづける方法は、サービスの改革だけです。私たちは革新を通じて、何かに取り付かれたような、徹底した顧客指向を、身をもって表現します。私たちのサイトと行っているサービス(無料の特価品出荷のような)を見れば、私たちがすべてにおいて「より良くする」ことを狙っているのがわかると思います。

私たちは顧客をパーティへのゲスト、自分達はもてなすホストと考えます。自分達の仕事は、顧客のすべての面について、毎日少しでもよいサービスを提供するものだと考えています。私達は生まれつき、顧客の利益のために改善する大きなチームを持っています。

Q.ブランドを構築するのに、コミュニティー感覚はどのぐらい重要なのですか?

A.「コミュニティー」はとても広い意味の言葉なので、何を意味するかを固定しなければ話になりません。私達は「人が物を買うのを助ける人」を意味します。自分達はネガティブな顧客のレビューも載せます。それも我々のブランドの一部です。

ネガティブな意見も載せ始めたとき、人々はとても驚きました。でも、今はそれに慣れていて、特にネガティブな意見ばかり見るような人はいません。
はじめたばかりのころは、出版社(メインの商品である本の提供元)から「君はビジネスをわかってない!物を売るのがビジネスだ!」と言われましたけどね。

私達の視点は違います。顧客の購買行動を助けるとき、私達は利益を得るのです。ネガティブなレビューは、人々の購買行動を助けます。非常に顧客中心の視点です。結局は、「念入りに良いことばかり書いてあるレビューを選ぶ」より、多くの製品を売るでしょう。

Q.どのようにして、レビューを聞いていなかった人とamazonのブランドをしっかりつなぐのですか?

A.それは、「仕事」に背を向け、「顧客と共にはじめること」に関係しています。改革です。私達は2つの文化、「革新」と「顧客指向」を持っています。私達は「顧客のための仕事」と思ってはじめたくはありません。「顧客と共に」問題解決と改革をしたいのです。すべてのことに対して、同じアプローチで行います。

ブランドはいつも、行動を制限してくれます。私達が人真似や、改善を止めたとき、ブランドは錆びはじめるでしょう。

具体的な例として、私はいつも尋ねられます。
「なぜ、ブランド名に頼って、実際の店を開かないのですか?」
自分達の回答は…自分達は、どうやって実際の店を改善するかわかりません。今の店を運営する人は非常に良い仕事をしていて、自分達の改善の余地が見つかりません。改善できなくては、ブランド価値が下がるでしょう。

Q.「実際に対面して買いたい」という顧客のことを考えていますか?

A.はい、考えています。私達は「顧客は賢い」という視点で考えています。リアル店舗を持てば、満足する顧客もいるかもしれませんが、めったにない方法だと考えています。
「いい方法かもしれませんが、人々は満足しないでしょう」

Q.伝統的なブランド構築、実質と違うイメージを作る試みは、webみたいな透明性の高いメディアにおいても有効ですか?

A.イメージが必ず出来るとは限らない…が、ビジネスはそれを狙う…ものは、「実際とは違うように見せる」ことです。
自分で広告を扱っている広告マンでさえ、広告と中身が違うことを知っています。だから余計に大声で言うのです。

代理店やキャンペーン会社に会うと、「(広告と)現実は違うのに」と考えます。それは広告屋が顧客を騙せると信じている例です。彼らはいつも、顧客を過小評価しています。

Q.マスマーケットに影響を及ぼすのは、より難しくなっています。アマゾンはどうやって3000万人以上の顧客にリーチしたのですか?

A.あなたの言うその顧客(マスマーケット)が、まさに狭いマーケットなのです。セールスチームが個々の客に売り歩く、または1億人の顧客に多くのTVコマーシャルをする。どちらも成功するかもしれません。

問題はいつも、リーチの難しい「中間サイズの客層」にあります。15000人の顧客がある場合、直接販売には多すぎて難しい。だが、テレビを使うには小さすぎる。

私はその、「中間サイズの客層」が、自分達の顧客だと考えます。ちょうど出版社が持っている本に見合う数です。数として中間層に位置する単行本は、ちょうど15000部出ます。私達の作ったツールは、ぴったり15000人の顧客を見つけてきます。これは大事な、アプローチの変更です。

Q.何がamazonのブランド価値の急激な増強の原因ですか?
最近何か特別なことをしましたか?

A.私は、全てを根っこから集中し、継続させつづけました。-選りすぐられた商品、より低い価格、より役立つ選定ツール(選択サービス)、商品に対するより良い情報提供。

一つ挙げれば、私達が本だけでなく、電化製品や調理器具、家具のようなものを売ることに、人々が気付いていることです。
どこかで限界点を超えたのかも知れません。より多くの人々が、私達のサービスに気付いています。

でも、新商品の提供も、4年前からはじめていたものです。特に新しいものはありません。

Q.「マスメディアにまったく投資せずにブランド価値を上げた」という話は、まったく魅力的です。
あなたは、マスターゲットに向けて再び広告すると考えますか?

A.いいえ。絶対ありません。私は自分の戦略を信じています。

1stステージ3試合目。これで3試合丸々、
会場だったりサッカーバーだったりでリアルタイムで見ていることになるけど、
2ndステージのレッズの試合はどれも一晩眠れなくさせるほどの興奮に満ちている。

磐田はベストじゃなかったかもしれない。でも、強かった。レッズはその磐田をほとんどの時間帯で押し込んだ。磐田を押し込めるのは、強いいくつかのチームに限られる。

磐田はそれでも負けない。山本オリンピック監督の言う、「相手とこちらのペナルティエリア内での強さ」を、日本で一番持っているのは間違いなく磐田だ。チャンスが1回なら、その1回で決める。相手のチャンスが何回あっても、点はそうは取らせない。

レッズはその磐田を、堂々たる力勝負で寄り切った。薄氷の勝利ではない、ロスタイムに磐田から勝ち点を取れるのは、昨年の2ndマリノスのような、「優勝する力のあるチーム」だけだと思う。
試合結果
http://www.jsgoal.jp/result/20040100020120040829_detail.html

選手コメント
http://www.jsgoal.jp/club/2004-08/00011103.html

監督コメント
http://www.jsgoal.jp/club/2004-08/00011101.html

ブッシュが、アテネ・オリンピックの男子サッカーで4強入りを果したイラクに便乗した再選キャンペーンCMを流している。
海外ボツ!news

 …まるで、マンガの悪役のような行動だ。作った代理店や選挙参謀は何を考えていたのか?

 …ひょっとして、本気でブッシュは正しいと思っているのだろうか。

 マイケル・ムーア 華氏9/11および書籍
「おい、ブッシュ、世界を返せ!」

おい、ブッシュ、世界を返せ!

 興味深々だった映画なので、公開初日に映画館へ。いつものマイケル・ムーア節でテンポのよいストーリーの運びと映像、とても面白かったです。

 ただ、もともとマイケルムーア・ファンで無い人が見て面白いかどうかはちょいと疑問。
本「おい、ブッシュ、世界を返せ!」は先に呼んでおいたほうがいいかも。

 靴爆弾の話(国内線の機内に何も持ち込めない手荷物規制に対して、なぜかライターは持ち込み可能。タバコ産業が強烈にブッシュにロビー活動をしていたから、という話)なんかをたった4カットで説明しきるのは、なかなか厳しい。

 ネットの評価だと、「我田引水」という表現が目立ちますが、たぶん説明不足だからよけいそう見える(もちろん、本読まないとわからないなら映画としてはどうかと思いますが)ように思えます。裏にしっかりデータはあるのだけれど、それを画面に出すのはなかなか難しいのでは。

サウジが王制国家で人権という概念があんまりない、まるで北朝鮮みたいな国だという話も、自分を含め知らない人多そうですし、そういう国でもお金さえあれば受け入れてしまうことへの批判、
アメリカはさすがに「やりすぎ」なんじゃないか?
という批判は、ムーアの一連の作品を見ていない人には受け入れられづらいのではないかと思います。

この映画、アメリカで見に行った人はどういう人なんだろう?

ボウリング・フォー・コロンバイン、ロジャー&ミー、ビッグ・ワンを見るような人が見たなら、この映画は絶対に面白いです。プラスであれマイナスであれ、ブッシュ政権やイラク戦争に一家言あるような人が見ても面白いと思います。
でも、「よく効くから何か見に行くか」と思って見に行って面白いかどうかはちょっと疑問です。

きっかけにしてムーアの本を読むなら良いと思います。この人は本も、間違いなく面白いです。

わずか8ピクセルで数百万ドルの損害–マイクロソフト、世間知らずがアダに - CNET Japan

 Microsoftが、アジア・アラブ・アフリカでの商売で、現地の状況に無知だったためにトラブルを起こした話。

 以下、いくつか引用。

 Microsoftがしでかした別の大失敗は、コーランの旋律をコンピュータゲームのサウンドトラックに使用し、サウジアラビア政府の怒りを招いたというものだった。同社はこの失敗の後に、問題の指摘されたバージョンを回収しないまま、この旋律を含まない新バージョンを出した。これは、ミスが見つからないだろうとの米国スタッフの判断からだったが、サウジ政府はこのゲームを発売禁止とし、謝罪を要求してきた。Microsoftはこれを受け、このゲームを回収した。

 同社はまた、イスラム戦士が教会をモスクに変えてしまう新しいゲームを作成し、サウジアラビア国民をさらに怒らせた。当然このゲームも回収になった。

 またMicrosofが、女性全員と複数の国家を憤慨させたこともある。中南米市場向けにつくられたスペイン語バージョンのWindows XPが、ユーザーの性別を尋ねるときの選択肢として、「無回答」「男性」、そして「メス(”bitch”)」に相当する言葉を表示してしまったのだが、この原因は翻訳ミスだった。

 たまたま嫌われ者のマイクロソフト(私も好きになれないけど)だからコミカルに取り上げられているけど、別にMSだけが世間知らずなんじゃなくて、これが”グローバリズム”なんだろう。
 世界は文明国と野蛮国に分かれようとしているけど、ホントは外国に行ったらみんな田舎モノのはずなわけなんだけど。

 高須です。

米軍ヘリ墜落事故(沖縄)、不時着(横浜)事件に触れてるブログサイトに応援トラックバック。

何しろあれはひどいと思う。軍用機が市街地の真中に墜落、
しかも操縦者含め情報は日本人にまったく教えてくれない、現場処理に来た兵隊たちは思いっきり防護マスクと、「何かないわけはない」事件だ。

同じヘリがマンギョンボン号から飛び立ったら大騒ぎになっていたはずなのに、米軍だと何も出来ない。

もちろん、これでいきなり出て行けとか騒げとか言うわけじゃない。でも、「二度と起こさせない方法を考えろ」とは言うべきだ。

会社同士だったら、
・責任者の名前の報告書の提出
・対策マニュアルを作らせ、内容を共有する

 ぐらいは必ずやる。

この幸福な世界

セマンティックweb(オマケつきweb)によって何が可能になるかについて、もう少し考えてみました。

セマンティックwebの図はこれ。
semantic.gif

人はコンテンツ(情報)を受け取るときに、情報そのものだけを受け取るわけではありません。その情報を「誰が」発信したか、「いつ」発信したかは、時に情報そのものと同じぐらい重要なこともあります。

意味のない情報が属性情報で意味を持つ、という例として、「XXというレストランの食事がおいしい」という情報で考えてみます。

普通なら、どこかのwebページにこれが書かれていても、おそらく気にとめない、無視される情報だと思います。

これを「知り合いや家族」が言っていたら、聞くかもしれません。またはこの情報が「近所や今度旅行に行く先で発信されたもの」だったら、聞くかもしれません。
さらに、「最近」だったら、もっと価値があるかもしれません。

人がコミュニケーションする(情報の受け渡しをする)ときには、情報そのものに加えて、属性情報で無意識なフィルタをかけています。家族の言うことにそれとなく気を配っていたり、「よく読む雑誌」や「好きなブランド」のものは注意深く見たり、電車の中刷り広告や電柱の広告はシャットアウトしたり、古いチラシだったらそもそも中身を見なかったりします。

「聞くべき・聞かなくてもいい」というモノサシ、「信用できる・できない」というモノサシ、「興味のある分野・ない分野」というモノサシを、みんながみんな持っています。
それを「受け取る側」から見た時に価値観と呼んだり、「情報を出す側」から見てブランド(XXに書いてあることなら信用しよう、とか)と呼んだりします。

人の頭の中にある情報は、そうやって無意識にいろいろな属性情報がつけられて、グループ化されていきます。それぞれの情報の中で重要・重要じゃないというランクがつけられていきます。

この、頭脳の「情報を溜め込んで、整理して重要度をつける」という仕組みは、検索エンジンの仕組みに似ています。というか検索エンジン自体が人工知能のプログラムなので、エンジンが人間に似せている、というほうが正しいんですが。

セマンティックwebは、属性を含めて配信することで、この「人間の無意識な情報フィルタ」に近い情報の出し方・受け取り方を可能にします。

それまでの、ハイパーリンクによるwebに比べて、「グループ」とか「属性」とかの概念が加わり、リゾーム(図)のような構造に向かってネットが進化しつつあります。

fig5_1.gif
リゾーム図 出展

 「情報の出し側」として提供する、サイトを見に行くと書いてあるのは、これまでどおりのリンクの構造。情報の受け手側の方で、さまざまにフィルタリングして(近所だけとか、知り合いだけとか、最近だけとか..逆に、XXに関するものなら全部とか、「最近見たものに似たもの」とか)情報を受け取るようになっていくと思います。

CNETのレッシグブログにゲストとして参加しているバウチャー議員の最後のコメント。

 最終的に、何を使うにも金を払わなければならず、お金の多寡が機会の多寡になるのはサイテーだな、という話。

これを恐れつづけることは大事だと思う。怖いのはお金よりむしろ、コンテンツに触れることが煩雑になり、面倒になってアクセスしなくなるような社会だ。

無料でアクセスできるのはぜんぶ広告で、古典に属するものは全部誰かの所有物(筒井康隆の「にぎやかな未来」みたいな)
となるのは、もちろん悪夢だ。

ぜんぜん別件として、著作者に何も入らなくなるのも、もちろん悪夢だ。

著作権の問題の何かいやらしいところは、作った当人が訴えているのではなく、放送する権利や出版する権利を持っている人が大声をあげていることだ。
 ダメなレコード会社のせいで、マトモにアルバムが作れないミュージシャンはいっぱいいる。コンテンツに触れる敷居をなるべく低くすることは、多分コンテンツ作者(のほとんど)にとっても特になることも、忘れてはいけないことだと思う。

CNET Japan Blog - Lessig Blog (JP):ペイ・パー・ユース社会

トラックバックもらったので追記。
http://plaza.rakuten.co.jp/fuyukukan/diary/200408180000/

>従って上記引用元(高須)のいうような、古典に属するものとか何もかもが誰かの所有物になって、、、とうい
>のは極端な世界像なのではないかな、と。
(だいぶ略)
>今危険にさらされているのは、「著作物の自由な利用」ではなく「情報へのアクセス」と考えるべきなのか??
(カッコ内は高須)

↑ここの上記引用元、というのが自分のことです。
 「にぎやかな未来」のような様子は「極端な世界像」です。

 で、「自由な利用」か「アクセス」かは..
 レッシグ言うとおり、制限することを望む人々は、法律やテクノロジーなどさまざまな手段を用いて制限します。で、法律の場合は「〇〇は決まっていても実質的には規制できないので××」という、運用上の逃げ道があるのに対して、テクノロジーの規制はその逃げ道が(バグなどを除いて)ありません。

 Free cultureで例としてあげられている(レッシグflashにもこの話が出てきます)
のは、「アドビ・Eブックリーダーに入っているアリストテレスの『政治学』は、パブリック・ドメインにあるにもかかわらず、印刷もできない」ように、「法で規制されていないものがテクノロジーで規制される」ということはありえます。

レッシグの本「Free culture」を読んで、「この人が意識しているのは、”社会の発展を狙った、健全なバランス”ということなのだな」という内容に読めまして、それまで自分が思っていた「法律というのは基本的にクロかシロかの2択で、しかもずっと変わらないもの」というのとぜんぜん違うことにビックリしまして、

「そうすると”最終的にはどういう形にしたい”というのをしっかり描いて、法もテクノロジーも設計していくのが大事なのだな」思ったのがこのエントリです。

コラム95回「レッシグ 「free culture」でのblogのあつかい,そしてセマンティックwebに見るwebの将来」の続き的な内容です。

 前回のコラムで説明し切れなかった、「セマンティックweb」の「セマンティック」とは、意味とか意味論とか言う用語で、コンテンツに図みたいなさまざまな属性情報(メタデータ)を追加していく、という概念です。

図にするとこんな感じでしょうか。「オマケつきweb」と考えると良いと思います。
semantic.gif

 この概念を実現するために、それぞれの付帯情報の標準的な書式があり、RDFやRSSのように技術としてすでにかなり普及しているものもあります。

 概念の部分と、それを実現している技術の部分、単に「セマンティックweb」と言ったときには両方のことを指してしまい、話がややかみ合わなくなることがあります。
「どんなオマケを、どういうふうにつけるか」の話と、「オマケをつけるというアイデアそのもの」がゴッチャになると、話がおかしくなる、という話です。

 トラックバック先の江島健太郎さんのblogなんかは、「メタデータという思想はいいとして、いまの標準化のやり方では問題があるし、そもそも”標準化”じたいがいいことかどうか?」という問題提起です。他にも、まだ普及が甘いとか、現状マニアしか使ってないとか、そういう話はあります。

 今回のコラムで話題にしたいのは、概念として「オマケをつける」という「考え方」がアリだということ、今の時点でもそのおかげでこんな新しい、便利なものがでてきている、というお話です。

 付帯情報が加わることで、
 →カテゴリの付加情報に注目して、ニュースだけを絞って持ってくる
 →付加情報同士を比べて、関連の有る情報を並べて表示する
 →関連のある情報同士を比べて、どういう意見グループが存在しているか
 →ニュースか旧文か
 →もともとどういう意見の人の発言か
 →この発言に賛同している人はどのぐらいいるか
 などなどを掘り下げていくなど、データベース的に使うことも出来ますし、Tomo’s HotLineで言われているような、セマンティックメールもありえるかもしれません。(もっとも、メーラーはすでに結構付加情報がついてはいます)

network stylyサイトで言われている話のような、拡張していくとどこまでいくかわからない、という魅力もあります。

 すでにRSSというメタデータは実用化されていて、blogシステムのほとんどや、ニュースサイトの多く(朝日新聞まで!)は対応しています。手元のパソコンでRSSリーダを使うと、非常に便利にサイトの更新情報をとってくることが出来ます。
 (RSSのニュース斜め読みの便利さ、これについては、何度解説を読んでもわからないです。自分で無料のRSSリーダーをインストールして使ってみることをオススメします。自分が使っているのはglucose
それでも解説を、という人はセマンティックWeb技術・RSSを解説するサポティスタ選定「年間最優秀サイト2003」補講RSS解説編(サッカーファン向け)を見てください。

この、セマンティックwebという仕組みは、検索エンジンの仕組みと多少似ている部分があります。
検索エンジンは、個々のコンテンツに、この図のような意味をもたせることで
seo_mini.gif
拡大図(用語説明つき)
順位の上下をつけています。セマンティック化している、と言えるかもしれません。
 検索エンジンの仕組みの詳細な説明は以下のサイトを。
サーチエンジンの仕組み(1) - クローラー
サーチエンジンの仕組み(2) - インデクサー
サーチエンジンの仕組み(3) - クエリーサーバー -
 

とはいえ、検索エンジンはこの仕組みを実現するのに、ものすごいマシンパワーと開発ノウハウをつぎ込んでいます。
 自分がクライアントPCでRSSリーダーを使うのに比べたら、段違いの資産を使って、検索エンジンという仕組みを実現しています。これは、検索エンジンが意味(セマンティック)の解析を、自動で行っているからで、セマンティックwebの試みは、この部分を多少「きめごと」にしてあげることで、容易にやりとりできるようにする仕組みだといえるかもしれません。キーボードを使って入力する(セマンティックweb)のと、言葉で話してコンピュータが解釈する(検索エンジン)の違いといえるかもしれません。

セマンティックwebで、blogのトラックバックのような仕組みも生まれました。これはamazonのように、「この本を見た人は、こんな本も見ています」のように、付帯情報間をつないでいく仕組みです。セマンティックwebの仕組みにより、コミュニケーションがしやすくなります。

 この仕組みのことを「協調フィルタリング」と呼びます。フィルタリングというと勝手に分けるイメージがありますが、誰かが決めた分け方でなく、ユーザが自分の好みを選んだ結果が蓄積されるとか、そういう仕組みのことです。
セマンティックwebの仕組みは、「ネット全体のamazon化」のような可能性を秘めています。

 ネット全体を巻き込んだ「協調フィルタリング」が可能になることで、実際のメディア含め、ネットの姿が多少変わってくると考えます。

 「どう変わる」かについては、次回つづけて書きます。

参考

セマンティックweb CNET
http://japan.cnet.com/column/watch/story/0,2000050148,20053510,00.htm

セマンティックweb CNET ティム・バーナーズ・リー
http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000047623,20062001,00.htm

 CNETのBLOGで、Exciteの井上氏が「インターネット視聴率というものがあるが、サンプル数が1万ぐらいとかなり少ない。
テレビがメジャー7chに対して6000世帯、ネットのページは数億以上になるのに1万では少ないのでは?」
という記事を書いて、数箇所で話題になっているようだ。
 対比として、たとえばalexaのようなサービスが挙げられている。

「井上氏が」というので問題にはなっているけど、意見自体はさほど極端なものではなく、「ネットはよりパーソナルなメディアに対して、マス相手のようなアプローチではざっくりすぎるのでは?」という意見もとてもまっとうなものだと思う。

が、ネットレイティングはそもそも、誰をターゲットにしたサービスなのか?
私が業務で運営するサービスは、ネットレイティングではいつも業界の中堅どころなのだけど、とりあえず全体的なバロメーターとして捉えている。

一つは、これがかなり古くから(90年代から)とってくれているデータであるということ。新しいライバルの出現だとか、自分たちが業界1位になるためにはとりあえず今の何倍ぐらいの規模が必要なのか、前年と今年でどの程度業界全体と、自分のサイトの規模が伸びたのかなど、たとえば「通信白書」(総務省)や「インターネット白書」(インプレス)などと似たデータとして考えている。

CNET Japan Blog - 井上俊一 / エッセンシャル・サーチエンジン:マスメディアとパーソナルメディア

 YAHOOオークションの初期や、ニフティの「売ります買います」掲示板の初期は、何しろ怪しいものの溜まり場として魅力があった。

 ネットの新しいサービスは、よくそういう面白がりかたをされる。
「タイムマシン」「ザク売ります」なんていうものや、「消防車」(これはホンモノ)なんていうとんでもない出品もあった。

無料・匿名のサービスとしてそれを楽しむ場はあっていいけど、YAHOOオークションはもうそういう場ではない。出品料を取り、参加料を取る、立派なマーケットプレースになっているわけで、そこが「安心して物事に携われる場」にする責任がある。

海賊版は確かに非常に魅力的な商品だと思うし、私もYAHOOオークションで買ったことがある(ただしレッシグ言うところのC、「すでに手に入らないものの海賊版」)けど、違法なものには違いないし、ここで問題にされているのは「普通に売っているものの安価なコピー」、つまり具体的に損害が発生する海賊版だ。

海賊版の専門店も商売になりえる。「YAHOOブートレグ」のようなサービスが出来たら、多分自分は会員になると思う。
でも、タワーレコードやHMVでは海賊版は売らない。
YAHOOはここで、ブランドイメージを大事にしてほしい。

第2回:困惑するネットオークション運営者たち - CNET Japan

 前述 Free culture にも出てきた、レッシグ教授の「音楽ファイルの共有を存続させるための法制度」が、ついにアメリカ議会に提出されるようだ。

 レッシグ教授は音楽ファイル共有を、4つの場合に分けている。
A.本来ならCD買う人が、共有で済ませる場合
B.共有して聞いたことにより、CDを買う場合(宣伝)
C.もう売っていないCDのファイルを共有した場合
D.そもそも商業ベースに載らないものを共有した場合

 で、共有が悪になるのはAの場合のみだと。この法案はそのAの部分から、ちゃんとした著作権料を徴収する仕組みだ。

 著作権料の仕組み自体は間違っていないと思う。
Free Cultureを含めたレッシグ全体から感じるイメージは、「変わっていく世の中にあわせて、巧く法律を作ろう。なるべく損をする人が少ないように、なるべく世の中が進化するように」というポジティブなイメージだ。

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訂正です。(投稿してからまだ数時間)
「たきがわ」さんからコメントもらいまして、訂正です。
この記事内では、「こんなルールを考えているけど、どうか?」と提起しているだけで、
具体的に法案をいつ出すとか、そういう話はしてません。

他の記事か「Free Culture」で読んだ話が混ざったか、純粋に
自分の勘違いかも。

 たしかめたらまた追記します。

2004.8.17
確かめました。「Free Culture」でも、具体的に法案として提出したわけではなく、「提案」として記載しているだけです。
(Free culture 350P)

CNET Japan Blog - Lessig Blog (JP):音楽ファイル共有のための新たな法制度

 なんじゃこりゃ?

低価格制限付きWindows
http://slashdot.jp/articles/04/08/12/1321200.shtml?topic=110
米Microsoft社は、低所得国において低価格なWindows XPの提供を行う「Windows XP Starter Edition Pilot Program」を正式にアナウンスしたそうです。これは東南アジアなどでWindowsの入門用として提供され、こういった国において問題となっている海賊版の横行や、Linuxをはじめとするより低価格なライバルOSの台頭に対抗したものと思われます。まず10月よりタイ・マレーシア・インドネシアの 3カ国で提供が開始され、さらに最終的には今年後半に発表される予定の2カ国を加えた5カ国で展開されるとのこと。提供形態はハードウェアメーカーへの OEMとなり、低価格デスクトップPCにプリインストールされるそうです。
このバージョンの特徴として、初めてPCを使用するユーザを対象としており、詳細な操作サポートなどのための機能やコンテンツが加えられます。しかし一方でかなりの制限も課せられ、同時に起動可能なプログラムは3つ、プログラム毎に3つまでのウィンドウしか開けないうえ、ディスプレイ解像度は最大800× 600、ネットワークやプリンタの共有もサポートされず、1つのPCにおいて作成できるのは1アカウントまでになります。

 低所得国の人間は、800X600のディスプレイで我慢しろ、ということか?
非常に腹が立つのはこのみみっちく、しかもいい加減に決めたとしか思えないスペックの絞り方だ。
 発展途上国での海賊版横行が無視できない金額に達しているのはわかる。
そういう国々で、Linuxへの移行が進んでいるのも理解できる。

 でも、この対抗手段が「本気で対抗してない」のが不思議だ。これはMSの担当者が「対抗してますんで」というアリバイ作りのためにつくっているOSのように見える。

Free Culture

2日かけて、ローレンス・レッシグ 「FREE CULTURE」を読んだ。
まず感想なのは、「ネットはライブ、生き物だ!」ということ。

まだまとまっていないから、今日か明日に追記する。

追記しました。
———————————————————
世の中には目に見えないことが多い。「自由」とか、「規制」というものの中身は、わかるようでわかりづらい。それこそ尾崎豊はじめ、たいていのロックは自由について唄うけど、どういう状態が「自由」なのか、「権利」はどの程度認められるのかというのは、なかなか感覚でつかみづらい。

世の中を作っているルール、たとえば法律が何か変わると、それで自分たちの生活は多少変わるはずだし、生活が変わったらルールも変わらなければならない。たとえば自分の住んでいる都内のごみ捨て場には、日本語に加えて必ず英語・ハングル・中国語でも注記が書かれている。もしも彼らがきっちり定住して世代を継いで行くようになったら、冠婚葬祭や教育含め、いろいろルールは変わるだろう。

そのルールを決めることまで含めて「生活」なんだけど、やっぱり国やインターネットといった大きいレベルになると、それは他人事になりがちだ。レッシグのこの「free culture」は、まずその「他人事」をブチ壊してくれた。

義務と権利を扱うルールの話をするときに、まず、飛行機が始めて飛んだころの話から始まる。飛行機が登場する前の土地の権利は、土地の上空すべてに対して適用されていた。飛行機が飛ぶようになって、「上空は公共の空間であり、土地の持ち主に左右されない」というルールが新しく生まれた。

 これにつづいて、FMラジオが発明されたときに、AMラジオの権利者の強力な政治家ロビー活動でFMの普及が阻まれた例なんかが出てくるのだけど、ここで活写されるのは
「ルールは、新しい物が出てくれば変わる!」ということだ。

何か生活を変えるものが出てきたら、ルールはそれにあわせて変わる。法律や憲法みたいな大掛かりなものでも、変わらないと世の中が成り立たないようであれば変わる。
それぞれの問題について、「なるべく変えないように」という人々と、「どんどん変えてしまえ!」と思っている人々はいて、さまざまな手段を使って争う。

それは相当にライブ感に満ちた、エキサイティングな世界だ。その争いでは雰囲気作りを含めたいろんな努力が必要で、その議論にはblogの持つ役割が大きく扱われていたりする。

たとえば6-7年前のインターネットと今のインターネットがぜんぜん違うものであるように、6-7年後もぜんぜん違うインターネットになっていることはありうる。たとえばメディアがネットの導入でもっと風通しが強くなって、個別の判断に直接の利害者の意見がもっと反映されるようになるとか。たとえばJ1,J2のサッカーチームとサポーターの間では、ネットを媒介にしてそういう関係がここ数年で築かれるようになっている。これが個々の問題..たとえば年金や消費税といった話に反映するかもしれないし、メディアと報道に影響を与え始めることもできるかもしれない。

たまたまアメリカの話だからライブに見えた、というわけではないと思う。世の中はとことんライブだ、ということだ。

 サイバー法学者レッシグの最新刊、Free
cultureを読んでいる。
 ネット上で公開されている公演日本語字幕付Flash(いずれもittousai氏提供)を見てから、ずっと楽しみにしていた。

レッシグがどういう人かは彼のblog(日本語版)にあるが、サイバー空間での権利に関してずっとわかりやすく研究してい法学者だ。

訳者の山形浩生があとがきで書いてあるとおり、これまでのレッシグの作品「CODE」に比べ、(「コモンズ」はまだ読んでない)具体的なことが中心にかかれているのでとっつきやすい。読んでる最中なので、中身がまだ頭の中で落ち着いていないけど。

この本の中で、blogについて興味深いことが書かれていた。

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「日本ではblogは主に、公開日記の形式として機能している。アメリカではまったく別の意味で、公開対話のために使っている。議論し、見方の間違っている人を批判し、政治家の意思決定を批判し、みんなの見ている問題に解決策を提案する。」(Free
culture 58ページの内容を高須がアレンジ)

つまりは対立する意見のための、喧嘩腰な議論のためにblogというシステムが使われている、ということらしい。

理由は2つあって、1つめは、blogは非同期の対話を可能にするということ。2つ目は主流の商用メディアとblogの違いだ。

 まず、「非同期の対話」について。意見の相違をそれぞれ話し合って修正していくのが、そもそも民主主義の決定プロセスだけど、これ(対話..非同期の対話に対して、普通の対話のこと)にはかなり時間的・精神的・場所的コストがかかる。意見の会う人とならすぐ対話になるけど、根っから意見の違う人とだと、対話になるまでが一苦労で、場合によってはほとんど不可能に思える。

 前提条件をそろえて、用語の定義を合わせて、それぞれが「絶対的に譲れないもの」と、「場合によっては妥協可能なポイント」を洗い出して整理する必要があるし、それぞれの「言葉の綾」や「揚げ足」を取らないだけの信頼関係も作らなければいけない。たいていはその前に、相手の顔やしゃべり方やものごしが気に食わないことも多いから、この信頼関係の構築も大変だ。

 しかもそれぞれの立場によっては、本音はどうあれ言えないこと、なんてのもいっぱいある。一応は議論のプロである国会が対話にすらならず、強行採決だの牛歩だののすえに結局強引に多数決に行ってしまうことなんかは好例だ。

 blogはその手間を、非同期のコミュニケーションを行うことで解決する。それぞれは意見交換ができても、互いに顔を合わせるコストを払わなくて良い。

 もう1つの主流メディアとの違いとして、blogはアマチュアが支えているメディアであること、商業主義のメディアでないことだ。商業主義のメディアは売れ行きを気にしなければならないから、次々と新しいネタを探しつづけなければならないが、blogはそうではない。しかも同じことでも関心の多い問題を掘り下げていけば、トラックバック等でリンクが集まるから、ますます話が深まっていく。アマチュアのぶん、権威付けが足りないけど、それをコメントやトラックバック、つまりは査読が精査する。

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ここまでのレッシグのblogに対する考えを読んでいて、今興味を持っているセマンティックwebのことが思い浮かんだ。

セマンティックwebについてはいずれ詳しく書くけど、webに公開されている情報に「誰が書いた」「いつ書いた」「要約は何で題名は何」、などのさまざまな属性を追加する。属性が追加されることで、他の仕組み(多くは検索エンジンなどだ)が、「この人の書いた記事全部」などのように関連情報を収集しやすくする。

これまでのHTMLが乱雑な部屋に山積みになった本なら、セマンティックwebはきっちりと索引のついたデータベースみたいなものだ。blogは仕組みとして、更新情報をRSSで書き出したり、日時の情報を持っていたりという点でセマンティックweb的な部分を備えている。

blogの持っている「属性情報の書き出し」という部分に、レッシグの言う「対話」という部分と、「アマチュアが査読することによって情報制度を上げる」という部分が、自分の中でひとつのものとしてまとまった気がする。

Googleのようなロボット型検索エンジンは、「なるべくたくさんのサイトからリンクされているページ」を上位に表示する。

これはblogの言う査読の形を、コンピュータ的に使うもの、といえると思う。これに加えてセマンティックwebは、その情報を「誰」が「いつ」発信したか、その「誰」はこれまでどんな情報を発信してきて、「そのころ」には他にどんな情報が発信されたかを、簡単にリスト表示できるようにする。おそらくは検索エンジンの技術とかみ合って。

今はblogと検索エンジンの技術は、うまくかみ合ってない。スラッシュドットのこの2つのエントリーでも、内容そっちのけで「blogのデータが検索エンジンに出てくると邪魔だ」という話が盛り上がっている。

http://slashdot.jp/articles/03/05/13/0738247.shtml?topic=91

http://slashdot.jp/askslashdot/04/07/15/0253225.shtml?topic=91

でも、どうやら両者は融合することが可能なようだ。blogのようなコメント・トラックバックを受ける(コミュニティ的な)意見表明の仕組みと、セマンティックwebのような属性情報を付加する仕組みが組み合わさると、「その問題について、どういう議論をどんな人がしているか」をシステム的にリストアップしたり、議論の変遷を時系列で追いかけるような仕組みがシステムで実現できたりしそうだ。

 ここにはamazon.comのような協調フィルタリングの技術も絡んでくるけど、それについては別項に。

今のインターネットは見事に散漫な場になりつつある。統制の向こうにジョージ・オーウェル1984年を見るのに比べれば、今のインターネットは自由で怪しいものがいっぱいあって楽しい場ではある。でも、その散漫さが実社会に対する影響力を削いでいるのも事実だ。

 blogにしてもセマンティックwebにしても、対話(ないし情報の受け取り)を促進する技術だ。今後のネットを牽引していこうとする技術のいくつかが、同じ方向を向いているとしたら、ネットがまた面白い形で進化すると思う。

…もちろん、トラックバック先(ARTIFACT-人工事実- 人気blogの作り方を考えて実践した人
)にあるように、レッシグの言うこととはまったく別のやりかた(他メディアの紹介、意見をなるべく出さない、毎日違うネタを出す)で成功するblogもある。

また、レッシグの言う査読の文化は、まだそれほど有効に機能しているとは思えない。

(日記型のブロガーによる査読はポイントになりづらいだろうし、日記型でないblogはまだ立ち上げ期のようだ…サッカー関連を除けば)

 でも、検索エンジンは絶えず進化しているし、セマンティックwebに関してはまだ立ち上がったばっかりだ。2-3年のうちに、だいぶ変わったネットの姿が見れるかもしれない。

経済入門” style=”border: none;” />

 だいぶ昔にamazomで購入して、中に入っている数式にビビって読まずにほっておいた本。

物事の基本的な仕組みがわかると、ちょっとおちつく。

たとえば夏になれば暑くなって冬になれば寒くなる理由は、地球の自転の軸がちょっと傾いていて、日本の場所が太陽のほうに多く向く季節と向かない季節があるから、なんて話がわかると、少しいい気分になる。

で、今自分たちが不景気不景気言ってるのはそもそも何が悪くてどういうことかをわかりたくて読んでみた。

書いてあることはとても明快なのだけど、出てくるいくつかの数式を理解するのがつらくて、きっちりわかった気がしない。

でも、最初に出てくる「流動性トラップ」の部分は多少わかった気がするし、ビックリした。

投資を増やして好景気にしたいと思って、金利をいくら下げてゼロにしても、人がみな、「不景気が当分続く」と考えていると、効果がなくなる。こうなると、人々の「不景気が続くから、なるべく現金で持っていよう」という雰囲気が変わるまで、不景気は続く。

この「現金で持っていよう」という心情を壊すためには、「向こう10年間、年間で5%ずつ物価を上げますよ」という発表を政府や日銀がやって、それに伴う政策を実施すれば良い!

…どうやらこれが、クルーグマン言うところのインフレターゲット論であり、今の不景気の脱出特効薬らしい。

この本はこのモデルの説明と、他の方法がなんでダメか、あと一見暴論(何しろインフレ促進論だから)に見えるこの理論に対する反論の紹介と、その論破の数々が書いてある。

反論と論破の部分については、数式モデルがいくつか出てきて、そこでわからなくなってしまったけど、自分が感じたこの本の「おもしろさ」は別にある。

経済という数字の怪物のようなものが、人々の「気持ち」で動いてしまうことだ。少子化だからとか資源がないからだとか言った理由とは別に、「将来への期待の度合い」で、経済がまるまる動いてしまうというこの本のモデルは、とても刺激的だ。どのデータをどう解釈するかによるけど、社会全体の「気分」をうまくモニタリングする仕組みができたら、景気・不景気がそれで判定できるようになるかもしれない。