もう10年来の友人と、ナビスコカップ浦和・横浜を見に行った。浦和の快勝に気を良くして、東川口で少し飲んだ。
友人は私におとらず物の見方が独特で、「自分のやり方」を通せる職業・生活を営んでいるせいか、良い意味でいつも世間ズレせず、変わらない。
浦和の10年来の戦術の変化を話しつつ酒を飲みつつ、友人は面白いことを切り出した。
「日本に本当のプロスポーツはサッカーしかない。野球は、あれはプロではない。」
サッカー部だったせいでサッカーも見るが、好みははっきり野球の友人である。意外だったが、理由がまた面白かった。
「ファンが、”勝たせよう”としていないんだ。
アテネの、2回目のオーストラリア戦をみたか?”ここはバントしかない”という場面で小技の聞く谷にバントをさせず、”何でここでバントを?”という場面でバントに向かない中村ノリにバントをさせる。
挙句にオーストラリアに2回連続で負けて帰ってきて、その采配を誰も問題にしないし、ファンの誰も文句を言わない。そもそも監督が病身のときに誰も代理を立てないことを問題視しない。
オリンピックから帰ってきて、松坂もロッテの小林も、ムチャクチャ調子がいい。オリンピック以外の普段、いかに真剣勝負をしていない、”なあなあ”でやっているかという証明だ。
サッカーがイタリアとパラグアイに負けることと、野球がオーストラリアに2回続けて負けること、どっちが番狂わせか。サッカーは順当負けしていても、負けたから監督は責任を取る。敗因をきっちり分析し、監督は針のむしろ。
A代表は、たかだかインドとやるために、海外からスターを呼び寄せる。勝負に臨む姿勢がピリピリしているし、全力をつくすのはあたりまえで、それでも結果を問う。
Jリーグも10年前と今はぜんぜん違う。A代表も比べ物にならない。」
野球に関してはともかく(自分はすっかり見なくなった…テレビでさえ、1試合丸ごと見たのは多分横浜ベイスターズ優勝のころ。巨人のローテさえわからなくなった)、サッカーに関しては同感。
友人の話を聞きながら、最近blogで読んだ岡田マリノス監督の言葉を思い出した。
-(Jリーグが劇的に誕生してさらに)成功した要因はなんだったのでしょう?
岡田 理念というものが意味をもったと思いますよ。(中略)プロ・スポーツは金儲けの工業なんだけど、Jリーグは、ただの興行ではない。お金をもらってショーを見せるんじゃなく、ホームタウンのスポーツ文化を発展させ、町おこしに貢献し、ライフステイルを変える拠点にもなり、ひょっとしたら環境問題にも関わる。それがメインの目的ではないけど、理念がなければ、イメンの活動を支えられないし、メインの目的も達成できない。
(中略)
-レアルマドリッドが来日してジダンの凄いプレイを見て感動しますが、「おらがチーム」を応援する感動とは比べ物にはならない・・・。
岡田 そこがファンとサポーターの違いですよ。サポーターはチームとともに闘うなかで感動を得る。ファンはお金を払って感動を買う。経済的に潤った現代では、感動をおカネで買えるようになった。けど、おカネでは買えない感動をJリーグは与えられるようとしているし、それを多くの人々が求めてもいるんだと思いますよ。
Sports Yeah! Sports Yeah! 8/27-9/9号 岡田武史インタビューを、
フットボールは未来の兵器であるから引用
しかも、岡田監督はこれを、2003年から言っているそうだ。。
「ファンは、チケットを買ってショーを楽しむ。
サポーターは違う。 選手と一緒になって戦っている。
この力があって完全優勝することが出来た。」
マンチェスター・ユナイテッドの監督サー・アレックス・ファーガソンも同種の発言をしているようだ。
『人々は観光気分でスタジアムにやって来る。シートにどっかりと腰を下ろし、楽しませてもらうのを待ってる感じだ。彼らは本当の意味でクラブを応援しているわけではない。伝統的なサポーターというものは、選手の気持ちを奮い立たせるように、唄を歌いながら激励する。それが本来の姿だ』
『最近のオールド・トラフォードは物見遊山で足を運ぶ人たちばかりだ。肝心なプロセスには参加せず、ただ単にスリルを味わうためにやって来る。その結果、スタジアムは静まり返り、暗いムードの試合がいくつかあった。オールド・トラフォードは、いや、サッカーが行われるスタジアムは、そういう人が来る場所ではない。』 アレックス・ファーガソン
「サッカーが行われるスタジアムは、そういう人が来る場所ではない」
おそらくこれが、サッカーの常識なのだろう。ブッフバルトもトゥーリオもエメルソンも、サッカー大国の人間は「言わなくてもわかっていること」なのだろう。彼らは足が攣るまで走る。負けたらグラウンドに倒れこむほど、全身全霊をプレーに注ぎ込む。
浦和・横浜戦、勝った瞬間アルパイはグラウンドに倒れこんだ。
横浜Fマリ、那須はサポーターの前で泣き崩れた。
豪雨の中、サポーターは試合後、選手がグラウンドを1週して引き上げても、なお凱歌を上げつづけた。
東京ドームは?西武ドームは?サポーターはいない。阪神ファンは?「チームを勝たせよう」と常に能動的に動いているか?負ける理由付けをしているだけではないか?
自分はレッズサポーターとして、どの程度能動的に動いているか、怪しいところだ。単なるファンかもしれない。じっくり試合を見たいときに、ゴール裏を避けることも多い。遠征はほとんど行かない。
でも、試合を見に行きつづける限り、blogは書く。自分が行きつづける限り、なるべく他の人を誘うと思う。そして、ゴール裏にいないときでも、コールはする。
「能動的であろうとすること」で、サッカーとインターネットの熱さは似ている。私はどちらも好きだ。ファンではなく、サポーターでありたいと思う。
岡田の発言を引用した「フットボールは未来の兵器である」の追記が、すばらしい文章で結ばれている。
クラブチームの「サポーター」としての哲学をもち、それを行動に移すことができるものの努力だけが、マーケティングと資本の力学を超えて、日本のサッカーの文化を発展させていけるだろうということは断言できる。そして、そのときこそ、フットボールは未来の兵器たりえるのだ。
同じく、インターネットの一部としての哲学を持ち、行動に移すユーザーの努力は、マーケティングと資本の力学を超えてネットを発展させつづけている。
その意味でサッカーとサポーターは、極めてインターネット的だ。
-追記——————–
今回、トラックバック先が多いせいで、「保存」がスムーズに行かず、
2重・3重にトラックバックを送ってしまったblogがあります。
運営者の皆様、誠に申し訳ありません。