
永遠を願うなら
一度だけ抱きしめて
その手から 離せばいい
こんなサイト平安隆公式サイトをやっていることもあって、沖縄は好きだ。住み着いたことは無いけど、旅行には何度か行った。
行くといつも、なるべく人の少なそうな離島に行って、そこでテントを張って、ゆっくり本を読む。
どの島も海や浜が作り物のようにきれいで、時間があっという間にすぎる。なぜか私は沖縄に行くと、過去や老人の影を色濃く感じる。どの島にも戦禍の跡があるせいか、島には若者が少ないせいか。
たぶん、過疎で変わりようのない島の風景が、簡単に変わってしまう自分(人)の儚さを感じさせるのだと思う。
サンゴ礁の島はゆっくりと成長するし、自分がテントを張った浜は100年後もさほど変わらない姿でいると思う。でも自分は、20年も経てば面影が変わるし、ほんの10年で世相も変わるのだ。
自然といっしょに生き継いでいくような生活ではなく、新しいものを日々追い求めていくような生活を選んだ自分は、大好きな自然と、そこで暮らす人々にちょっとジェラシーを感じる。
COCCOの何曲かを聞いていると、まるで沖縄の緑深き島にいるような気がする。とくに「樹海の糸」を聞いていると深い森の中にいるような気がする。COCCOの唄は不思議だ。「ポロメリア」「けもの道」「焼け野が原」といった、感情を迸らせ、血の匂いが伝わってくるような生々しい唄を唄うこともあるし、それが突き抜けてまるで人ならぬものが唄っている、お告げのように響く曲もある。
「樹海の糸」はまるで、COCCOというアンプを通して、島がそのまま唄っているように感じる。永遠に対して、永遠じゃないものが憎しみと敬意を捧げる唄だ。神に対しても自然に対しても、それは祈りなのだと思う。祈りは樹海に飲み込まれるのだけど、でも人は祈らずにいられない。帰ってこないと知りながら、永遠を想わずにいられない。永遠になってしまった想いに絡め取られる気がする。
購読しているメールマガジン、
「浦和スポーツ」2/25語る会速報にて。
http://www.uragi.com/urasupo/merumaga.htm
浦和のアウェー席にアクリル版を張って囲う、というアイデアについて、犬飼社長のインタビューから。
大野:アウェー席をアクリル板を張るというのは?
犬飼:急に発注したらアクリル業者の生産が間に合わなかったので、開
幕には用意できなかった。
大野:鹿島サポを入れたかったですね
犬飼:アクリル板を張ると、声がピッチに行かず、旗も振れない(笑)
マリノスの社長との対談で言った訳ですが、マリノスのサポが
マリノスの社長のところに行って、本当にやるのか?と問い詰め
られたので本当にやるだろうと答えたらしいです。
大野:敵チームも報復で工事したりしないですかね
犬飼:そのぐらいの根性は見せて欲しいですね。スタジアムを
ホームのサポーターで埋められるところでないと難しいと思いますが。

シャーロック・ホームズは「ドイツ音楽が好きさ。物事を深く考えさせてくれるから」なんて語っていたが、自分はいつもいつもロックンロールを聞きながら企画書を書く。たいていは部屋でお香をぼかぼか焚きつつ、お気に入りのライブのDVDを見ながらだ。
仕上がる企画書のクオリティはあまりオススメできないかもしれないけど、ホームズとはハナから頭のデキが違う。
「LAST DANCE」このDVDを最初に見たのはいつか、もうおぼえていないけど、なにしろ全部で24曲の長丁場、いつ見ても新しい発見がある。
ブランキーとMEGADETHとNIRVANAは、それぞれ全体に流れる雰囲気が何か似ているように思う。歌詞からも音からも、切れば血の出るような完璧な響きといらだち、「たくましさ」からは程遠いデリケートさ。ドラム/ベース含め、演奏全体の緊張感がたまらない。一枚のカベというより、バラバラのパーツで組みあがった鉄格子のような、固さと間隔の空き具合。
音の一音一音、歌詞のフレーズのそこここに圧倒的なセンスが詰められて、その間を隙間風が吹いている。
個人的には、「ガソリンの揺れ方」が好き。
淋しさだとか優しさだとか温もりだとか言うけれど
切なさだとか儚さだとか運命だとか言うけれど
そんな言葉に興味はないぜ ただ鉄の塊に跨って
揺らしてるだけ 自分の命揺らしてるだけ