騒がしい未来

サッカーやインターネット、旅行、日々のお仕事など、普段思ったことををつらつらと書いていく、高須正和のブログサイトです。 さいきんはtwitterばかり。

今朝は金曜の大礼拝なので、直にダライ・ラマを見ました。(もちろん、チベット僧と敬虔な信者でいっぱいで、自分が見れたのは、退席するときのほんのちょっとだけでしたが…)写真で見る通りの穏やかな笑顔、お経を唱える低くて落ち着いた声、なんというか、まるで後光が射すようでした。

 今公邸まえのネットカフェにいるのですが、ネットカフェの右の席では、チベット僧が、中国語でほかのチベット僧とyahooビデオチャットをしています。
街はさまざまなFree Tibetのポスター、チベット国旗でいっぱいです。日本人はほとんどいませんが、町にいる多くの外国人は、たいていフリーチベットTシャツを着ています。抗議のハンガーストライキをしている人もいます。

インドは良くも悪くも混沌としていて、絶え間なく声がかかる物乞い、強引に腕を取る客引き、交渉してナンボの買い物、などなどエネルギーの塊がうねっています。ここダラムシャラでも物乞いはいるものの、静かで道も清潔です。心なしか牛も静かに歩いているように思えます。買い物も、エコロジーのために新聞紙で包み、チベット人が経営する店はどこも値引きもふっかけもしていないようです。各国から来た仏教徒が、穏やかに買い物(オレンジ色の僧衣とか、数珠とか)をしています。この街はまるで、インドではないみたいです。

 夕刻には毎日、町中のチベット人(と、チベットをリスペクトする外国人旅行者)が灯明を持って抗議の行進をし、日没の中お祈りをするのですが、行列は追い越しもなく整然としていて、お経の声は力に満ちていますが、静かです。その中で外国人が混ざり、礼拝の中何人もがフラッシュ焚いて写真とっても何も言わず、お経もまったく乱れないあたりに、懐の深さを感じました。前を争うことなく、エネルギーをそれほど外に出すことなく、”暴動”という言葉がすごく似つかわしくない人々だな、と思います。

彼らが静かに、幸せに暮らせることを祈ります。