2004年08月10日

96.ネットはライブだ! (ローレンス・レッシグ free culture書評)@

Free Culture


2日かけて、ローレンス・レッシグ 「FREE CULTURE」を読んだ。
まず感想なのは、「ネットはライブ、生き物だ!」ということ。

まだまとまっていないから、今日か明日に追記する。

追記しました。
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世の中には目に見えないことが多い。「自由」とか、「規制」というものの中身は、わかるようでわかりづらい。それこそ尾崎豊はじめ、たいていのロックは自由について唄うけど、どういう状態が「自由」なのか、「権利」はどの程度認められるのかというのは、なかなか感覚でつかみづらい。

世の中を作っているルール、たとえば法律が何か変わると、それで自分たちの生活は多少変わるはずだし、生活が変わったらルールも変わらなければならない。たとえば自分の住んでいる都内のごみ捨て場には、日本語に加えて必ず英語・ハングル・中国語でも注記が書かれている。もしも彼らがきっちり定住して世代を継いで行くようになったら、冠婚葬祭や教育含め、いろいろルールは変わるだろう。

そのルールを決めることまで含めて「生活」なんだけど、やっぱり国やインターネットといった大きいレベルになると、それは他人事になりがちだ。レッシグのこの「free culture」は、まずその「他人事」をブチ壊してくれた。

義務と権利を扱うルールの話をするときに、まず、飛行機が始めて飛んだころの話から始まる。飛行機が登場する前の土地の権利は、土地の上空すべてに対して適用されていた。飛行機が飛ぶようになって、「上空は公共の空間であり、土地の持ち主に左右されない」というルールが新しく生まれた。

 これにつづいて、FMラジオが発明されたときに、AMラジオの権利者の強力な政治家ロビー活動でFMの普及が阻まれた例なんかが出てくるのだけど、ここで活写されるのは
「ルールは、新しい物が出てくれば変わる!」ということだ。

何か生活を変えるものが出てきたら、ルールはそれにあわせて変わる。法律や憲法みたいな大掛かりなものでも、変わらないと世の中が成り立たないようであれば変わる。
それぞれの問題について、「なるべく変えないように」という人々と、「どんどん変えてしまえ!」と思っている人々はいて、さまざまな手段を使って争う。

それは相当にライブ感に満ちた、エキサイティングな世界だ。その争いでは雰囲気作りを含めたいろんな努力が必要で、その議論にはblogの持つ役割が大きく扱われていたりする。

たとえば6-7年前のインターネットと今のインターネットがぜんぜん違うものであるように、6-7年後もぜんぜん違うインターネットになっていることはありうる。たとえばメディアがネットの導入でもっと風通しが強くなって、個別の判断に直接の利害者の意見がもっと反映されるようになるとか。たとえばJ1,J2のサッカーチームとサポーターの間では、ネットを媒介にしてそういう関係がここ数年で築かれるようになっている。これが個々の問題..たとえば年金や消費税といった話に反映するかもしれないし、メディアと報道に影響を与え始めることもできるかもしれない。

たまたまアメリカの話だからライブに見えた、というわけではないと思う。世の中はとことんライブだ、ということだ。

 

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