2004年08月17日

使うたびに金を払う(ペイ・パー・ユース)社会@

CNETのレッシグブログにゲストとして参加しているバウチャー議員の最後のコメント。

 最終的に、何を使うにも金を払わなければならず、お金の多寡が機会の多寡になるのはサイテーだな、という話。

これを恐れつづけることは大事だと思う。怖いのはお金よりむしろ、コンテンツに触れることが煩雑になり、面倒になってアクセスしなくなるような社会だ。

無料でアクセスできるのはぜんぶ広告で、古典に属するものは全部誰かの所有物(筒井康隆の「にぎやかな未来」みたいな)
となるのは、もちろん悪夢だ。

ぜんぜん別件として、著作者に何も入らなくなるのも、もちろん悪夢だ。

著作権の問題の何かいやらしいところは、作った当人が訴えているのではなく、放送する権利や出版する権利を持っている人が大声をあげていることだ。
 ダメなレコード会社のせいで、マトモにアルバムが作れないミュージシャンはいっぱいいる。コンテンツに触れる敷居をなるべく低くすることは、多分コンテンツ作者(のほとんど)にとっても特になることも、忘れてはいけないことだと思う。

CNET Japan Blog - Lessig Blog (JP):ペイ・パー・ユース社会


トラックバックもらったので追記。
http://plaza.rakuten.co.jp/fuyukukan/diary/200408180000/

>従って上記引用元(高須)のいうような、古典に属するものとか何もかもが誰かの所有物になって、、、とうい
>のは極端な世界像なのではないかな、と。
(だいぶ略)
>今危険にさらされているのは、「著作物の自由な利用」ではなく「情報へのアクセス」と考えるべきなのか??
(カッコ内は高須)

↑ここの上記引用元、というのが自分のことです。
 「にぎやかな未来」のような様子は「極端な世界像」です。

 で、「自由な利用」か「アクセス」かは..
 レッシグ言うとおり、制限することを望む人々は、法律やテクノロジーなどさまざまな手段を用いて制限します。で、法律の場合は「〇〇は決まっていても実質的には規制できないので××」という、運用上の逃げ道があるのに対して、テクノロジーの規制はその逃げ道が(バグなどを除いて)ありません。

 Free cultureで例としてあげられている(レッシグflashにもこの話が出てきます)
のは、「アドビ・Eブックリーダーに入っているアリストテレスの『政治学』は、パブリック・ドメインにあるにもかかわらず、印刷もできない」ように、「法で規制されていないものがテクノロジーで規制される」ということはありえます。

レッシグの本「Free culture」を読んで、「この人が意識しているのは、"社会の発展を狙った、健全なバランス"ということなのだな」という内容に読めまして、それまで自分が思っていた「法律というのは基本的にクロかシロかの2択で、しかもずっと変わらないもの」というのとぜんぜん違うことにビックリしまして、

「そうすると"最終的にはどういう形にしたい"というのをしっかり描いて、法もテクノロジーも設計していくのが大事なのだな」思ったのがこのエントリです。

eメ:いけお

どうも。いけおです。ぜひ、ムーアの本読んでみようと思います。もしかしてボーリングフォー…も原本とあるんですか?
あともう一つお伺いしたいことがあるのですが、CDのジャケットを無断にweb上にて利用することは著作権の問題に触れますか?(紹介として使う程度)。以前誰かから注意を受けたもので…。ご参考までに。http://u16u.hp.infoseek.co.jp/
こんな感じで使いたいんです。。

eメ:高須@中の人

たぶん厳密に言うとあるんだと思うけど、個人の紹介なら問題ないと考えて、自分は無断で利用してます。

アーティスト公式サイトとして運営している
http://www.hirayasu.com/では、ジャケットほとんど使わないようにしてます。

eメ:いけお

分りました。ありがとうございます。
ブログってもとは対話のためにあるものだったんですね。知らなかったです。

 

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