騒がしい未来

サッカーやインターネット、旅行、日々のお仕事など、普段思ったことををつらつらと書いていく、高須正和のブログサイトです。 さいきんはtwitterばかり。

webサイト同士のトラフィック比較をしてくれるAlexa
便利なサービスなのですが、Alexaのデータがあまり信用できないのは有名です。
特に去年(2007年)ぐらいから、「ホントは大きいはずのものが小さく出て、小さいはずのものが大きく出る」こと、つまりは全くのデタラメが出ることがあります。

これらはAlexaの問題点を指摘しているブログです。
Alexaの信頼性~実際のサーバーログと比較して~([Z]ZAPAブロ~グ2.0)
Alexaの信頼性その2~某ゲーム情報サイト運営者の見解~([Z]ZAPAブロ~グ2.0)
ここでは、Alexaの仕組みとそれ故の問題点(alexaツールバーが入っている偏ったパネラーのみの調査なので異業種との比較では信用しづらく、たとえば新興国ユーザーの大量流入などがあると傾向値もブレて過去/現在の比較では使いにくい。)問題点を踏まえた上での使い方(同業種・同時期の比較なら使える)が載っています。これらは2007年6月のブログなのですが、
2007年8月には
AlexaによるとYouTubeはGoogleを超えたそうだ。Alexaは使えないTechcrunch
Alexaのインターネットはでっち上げTechcrunch
というブログが書かれ、ここではその同業種/同時期の比較でさえAlexaのデータが間違っていて、つまりは全く使えていない状況が書かれています。

自分もAlexaはあんまり信用しておらず、国内のサイトの競合調査だととりあえずPathtraqを使っています。Pathtraqのパネラーはやっぱり偏ってますが、同業種/同時期の比較だと、まあまあ信用できるデータが出ることが多いです。

あとは、規模の大きいサイトならいろいろなところに載っているネットレイティングの公開データを調べたり、アクセス比較ではありませんがGomezのランキングを見たり、インプレスのインターネット白書や総務省の情報通信白書(オススメ!すごく詳細な調査が載っているし、無料だし、読みやすいし)を見るようにしています。

Alexaとおなじく、無料で重宝がられるアクセス解析ツールとして、Google Analyticsがあります。
Googleのアクセス解析サービス「Google Analytics」を使ってみました(Gigazine)
Google Analytics入門 第1回 ログインしてレポートを表示しよう(impress web担当者フォーラム)

こちらは自サイトのアクセス解析ツール(ログ解析ツール)で、高機能でグラフも見やすいのに無料で、非常に重宝がられていました。

とはいえ、自分はこちらのツールもかなり怪しんで見ていました。
自分はブログにGoogle AnalyticsAccessAnalyzer.comという2つのビーコン型アクセス解析ツールと、ログ解析型のAnalog(レンタルサーバーのxreaにオプションで入っているもの)の3つの解析を入れているのですが、去年ぐらいまでは、Google Analyticsだけがほかのツールとの測定誤差がけっこう大きくて、ページビューやセッション数といった基本的な数値もいまいち信用しかねていました。

とはいえ、Alexaみたいにような、どうしようもない誤差ではなく、過去と現在との比較とか、上昇/下降の傾向値はマトモに出ていたので、実用上それほど問題ではありませんでした。

そもそもアクセス解析ツールは、ツールが違えば出るデータが違うのはアタリマエで、
昔やっていた69dayというアクセス解析の合同イベント(最後は2005年。おもしろいイベントだったので再開してほしいなぁ)で10社の製品による同一サイトのアクセス解析なんていうのをやったのですが、結果はそれなりにばらつきがあったようです。
10社の製品による同一サイトのアクセス解析結果を公表impress internet watch

その、あまりマトモな出方がしていなかったと考えていたGoogle Analyticsですが、今日たまたま自分のブログの解析結果を見たら、Google AnalyticsAccessAnalyzer.comで、1-2割ぐらいしか誤差がなく、かなりまともな数値になっていました。

Google Analyticsの新バージョンは去年の6月に公開されたのですが、思えばGoogle Analyticsの誤差に悩んで信用しなくなったのは去年の頭ぐらいの話なので、バージョンアップを期にマトモになったのかもしれません。

alexaのようなサイト比較ができる、アクセスデータの共有によるベンチマークなど、おもしろい試みも始めましたし、多くの人が頼りにしているGoogle Analyticsが、よりよいサービスになるのはとても喜ばしいことだと思います。
(とはいえ、ベンチマークはデータを公開しているサイトのみなので、あまり増えないだろうなぁ..特に企業サイトは参加しづらいと思う)

とはいえGoogle Analytics、いまだに、Googleがやってるだけに、いちばんマトモに取れそうな検索キーワード履歴が、全く信用ならないのですが…ビーコン型なので、しょうがない部分もありますが、それこそGoogleと連携するなりして、何とかならないものでしょうか。

ちなみに、自分のブログのキーワードの、3ツール比較分析結果は..

Google Analytics
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AccessAnalyzer.com
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Analog
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仕事がらみで、レコメンデーションエンジンを使うサイトにかかわりました。

laboo001.jpg
LABOO! http://laboo.221616.com/

このサイト、LABOO!の、
ビジュアルサーチは、チーム☆ラボのレコメンデーションエンジンselect☆wareを使用しています。

 この手の、「この車に近いのはこの車種」はもともと車に詳しい人がけっこう必死に選んでいましたが、便利になったものです。

amazonで有名な、「この本を読んだ人はこんな本も読んでいます」リンクは、「リコメンデーションエンジン」によって生成されています。

自分はもともと、あんまりリコメンデーションエンジンが好きではありませんでした。何か宣伝っぽいし、(最初は、マクドナルドの「ポテトもお付けしますか?」を連想してしまった)好きなものは自分で探すし、好きなものだけ追いかけているだけで、十分時間が潰せるからです。

最近はちょっと考え方が変わってきました。
 ・ネットの回線が太くなり、前ほど表示時間・要素にシビアじゃなくなった
 ・いろんなものをネットで買えるようになり、「よく知らないもの」も
  ネットで買うようになった
 ・ネットを見る時間が更に増え、特にblogなど、
  情報を探しているときに、もっと多くのものをほしくなってきた
 ・RSSリーダー、タブブラウザなどでナナメ読みができるようになってきた

など、「入ってきた情報を消費する」力がどんどん高まっているのに対し、探す力はさほど進化していないので、「もっとたくさん、好みの情報(しっかりセレクトされたもの)が入ってくる形」が必要になりつつあります。

 昔はたいしてアテにならなかった、amazon等のリコメンドエンジンの精度も上がってきました。
 ・コンピュータの処理能力が上がった
 ・ユーザー数が増えた
 ・リコメンデーションのロジックが整備されつつある
 など、さまざまな要素があるのでしょう。

さらにmixiや知人のblogで新しいモノの情報を仕入れる機会も増えて、これも一種のレコメンドでしょう。
 トラックバック、コメントで直接間違いを指摘されたり、新しい考えを入れてもらうことも多くなった。これもレコメンドかもしれません。

 昔に比べると、どんどんインターネットはインタラクティブ、コミュニケーション主体なものになりつつあります。「何か操作をすると、その操作が結果に反映する」というリコメンデーションエンジンも、インタラクティブという部分で、コミュニケーションの一つだと思います。

 ネットの上に、ますます情報は増えていきます。「より分けて、近しいものを提供する」形でのリコメンドは、エンジンに限らずこれからも発展していくと思います。

 昨日取り上げたエントリでも書いた、technoratiの話の続きを。

asahi.comの記事に対しての感想、世論誘導と同じく、今回の郵政民営化うんぬんの報道が、どれも情に流されすぎていて、信用できない。

今回の争点は「小泉首相の主張する形での郵政民営化はアリかナシか」で、反対者が議員に多かったから、解散・総選挙を招いた。
「政党政治なのに、党内の意見が集約できていないまま、採決を選んだ」
「反対者を十分説得せず、”選挙で公認しない”という強硬手段を取った」
等々ももちろんニュースバリューはある。

が、まるで「小泉がムチャクチャをしている」という全体的な印象を与えようとしているかのような、印象報道が多すぎる。
投票だの採決だのを招くということは、さまざまの論点をゼロかイチか、「賛成か反対か」の二つに集約していくことだ。とはいえ、賛成にも反対にもさまざまな理由があり、「基本的には賛成だが今回のやり方は気に食わない」も反対、徹底抗戦する人も同じ反対である。
賛成も同じで、トクになるから賛成の人、正しいと思って賛成の人、さまざまな賛成の理由がある。
採決は別に「5段階評価」などでなくゼロイチなのだから、どんな形での賛成でも価値は同じ、どんな形の反対でも価値は同じである。なので政治家は調整と個別交渉・対策に忙しくなる。
まず、「結局は賛成なのだが今回のやり方がまずい」
「親分が反対なら俺も反対」の人の親分を説得しに回り、「ソンするから反対」の人にかわりのアメを用意しに周りと、バタバタするわけだ。

その意味で、十分な根回しをせずにいきなり採決に走り、自分の出した法案が否決されるや解散・総選挙で直接民意を取る、という小泉首相の手法は乱暴である。乱暴な人はたいてい首相になれないので、「過去にない例」として騒ぐのもわかる。
解散・総選挙自体は、政局の混乱を招く(なにしろ、その間は国会がなくなるわけだから)ということでなるべく避けたほうがよいものだろうから、その点を報道するのもわかる。
とはいえ、ドラスティックなことをやるなら、「絶対反対」の人は出る。

ここで「ホラホラ解散なんぞするから、こんなに困ってる人がいますよ」と報道することは、結果として「小泉は考えが足りない」という印象を与える。「どの面に光を当てて報道するか」によって、ニュースの中身は変わってくる。
「解散でこんなに迷惑してる人が!」と報道することと、「解散に至った背景を報道すること」で、意味はまったく違う。

今回の報道も、世論誘導的・印象報道的なニュース報道が多すぎる。今googleニュースで 解散 総選挙 税金と引いて真っ先に出てきた解散・総選挙 異例の決戦、各党奔走(asahi.com)なんかは世論誘導の典型である。

「政治がわかりにくい」「市民無視」云々は、そのまま「政治をわかりにくく報道してきた」「わかりやすく報道できなかった」報道の怠慢を表明するものではないだろうか?
 「決定」は誰でもわかる。今回だって、解散したのは誰でもわかる。わからなくて、わかりやすく解説することで新しい世論と、それぞれの人の考えを巻き起こす必要があるのは
「何で解散に至ったか」
「今の論点は何で、考え方はおおむねどういうものがあるか」
「今度の選挙で、自分たちが選択できる考え型は何種類ぐらいあって、それぞれを代表している政党は何か」
といった点ではないか?

投票もゼロイチの行為だ。たとえば小泉政権について、最近の自分は
・ひたすら小さな政府、福祉切り捨て・税金低減化をしてるのはどうよ?
・なんだかんだ言って公約の達成率が悪いのはどうよ?
・アメリカ盲従絶対反対
・外資バンザイ経済政策はさらに自殺率上がりそうで困る
あたりのマイナス評価と、
・野党はさらにダメそう
・とにかく赤字は減らしてくれそう
・たしかに大きな政府にしたらキッチリ福祉に金が回るかと言うと、
 たぶん利権になってダメ
・達成率はともかく、特殊法人改革や公務員の給与削減などを「言い出した」
 ことは評価する。
 たぶん社民党あたりだと、「実行力が無くて言ってもまったく出来ない」か、
 他の自民党だと「言い出しもしない」あたりになりそう
というプラス評価があり、今回の解散・総選挙については
「ぜひ小泉に勝ってもらいたい。できれば僅差で」と思っている。
 (大差だと、またいろいろと暴走しそう)

自分は、勝ってほしいと思っている勢力に投票する。そこに紐づくたくさんの理由は、私の頭の中にはある。このblogにはつらつらと書いてきた。

ここで話はやっと、最初のtechnotoriの話に戻る。
テクノラティでは、現在選挙の特集として、
衆議院選挙
“亀井派” OR “堀内派”
郵政民営化法案
“小泉首相” OR “小泉総理大臣”
衆議院 OR 衆院) 解散

のそれぞれのキーワードが出てくるblogが一覧で並んでいる。

blogを書いている人(多くは市井の人)が、自分の頭で考えて、何かを選択した/選択している結果が並んでいる。その理由も、それぞれの言葉で書いてある。

blog同士はトラックバックを打ち合い、コメントを書きあい、意見を交換し合う。個人のblogの編集に、検閲が働くことはほとんどない。

ここには、マトモな意味での言論空間が、たしかにある。精度やなかの質は別として、既存メディア(職業メディア、とあえて呼ぶ)ほどバイアスがかからず、2chほど無責任でなく、個人のサイトほど「ひとりよがり」ではない。街頭インタビューや識者へのコメントをムリヤリつなぎ合わせて構成されている新聞の紙面よりも、テクノラティのほうが、自分は「世論」に見える。

もちろん、ブロガー全体の偏りはある。たぶん地方出身者は少ないし、極端な高額所得者も少ない、女性も少ない。郵政省の職員とか、今回の直接利害関係者もあんまりいないだろう。

ただ、ここ数年言われている「ホームページとblogの違い」「掲示板とblogの違い」をプレゼンテーションするいい機会に、今度の選挙はなるんではないだろうか?

以前にもトラックバックした、

「blogが役立つ選挙」は、そうでない選挙より、自分には興味が持てる。

そのうち、創価学会の信者が大量にサクラブログを作り出したり、blog時代ならではの政治活動が始まるのだろうけど、これまでよりは流言飛語が飛ばしにくく、怪文書もXX町の論理も無く、紋切り型のコメントもないメディアになりそうだ。

創業者が明かすテクノラティの魅力と勝負どころ

テクノラティ、衆議院選挙に関する“生の声”を提供–テレビや新聞との連携も

P.S
 ちなみに昨晩からなんどか書きついでいたエントリです。大部分を昨晩書きました。上げてるのは勤務中ですが。

結局満足できそうなものが見つからず、予算の倍も払ってipod phot 60Gを購入したとたんにこんなエントリが。

このひとたちは……何も変わってないのね - パースペクティブ・アイ [ITmedia オルタナティブ・ブログ]

速やかに「iPod課金」を――音楽関係7団体が強く要望

どうやら、「録音可能な機器・メディアを販売すること」すべてから保証金を取っている団体から、HDDプレーヤが保証金を払っていないことに対するクレームがついたようだ。

どうやら平成15年には、「7343人の実演家に平均5万5693円」が付与されたそうな。自分の知り合いの平安隆さんも永原元さんも凄腕のミュージシャンだけどこんなのもらってないって言ってたぞ。だいたいこの補助金、合計しても4000万円足らずである。
記者会見開いたり「理解促進のためにポスター出す」といっている彼らの給料はいったいいくらなんだと言いたい。

よい音楽の作り手にお金が行くことは大事だ。が、音楽を流通させるしくみはどんどん進化していて、ミュージシャンはそれを肌で感じている。CD以外に、ゲスト出演やったりインストアライブやったり、レコード会社を超えてミュージシャン同士が直接演奏したり協力したりする動きは高まっている。

むしろ音楽業界は、ミュージシャンのサポートをするのでなく、邪魔をしている。
アーティストが直接blogを書いたり、サイトの運営をしたりすることが最近多いが、セットリスト(曲目表)が書いてあることは稀だ。カジュアルに近いライブだと、昔から好きだった曲をカバーすることが多いけど、いちいち演奏許可だの何だのを取っていられないので、演奏してもセットリストを公開できない。

プロのミュージシャンは、フラッとその辺で演奏して、その感想を書く自由がない。仲間のミュージシャンと一緒に写真とって公開する自由もない。

街頭ライブやパブでの演奏をおおっぴらに告知できなかったり、セットリストを公開できなかったり、それは音楽の周辺業界が、音楽の邪魔をしているからだ。

wwwサーバー立てるのにいちいち許可が必要だったり、そもそもapacheのインストールに許可やお金がかかるのであれば、インターネットはこんなに進化しなかった。メーラーもブラウザも無料でよいものがいっぱいあったから、メールもインターネットも普及した。
画像処理が、面白い割りにそれほどやる人が少ないのは、フリーでよいソフトが少ないためでもあると思う。面白いロゴデザインやポップアートが出てこないのは、生み出す環境が不自由だからだ。
もちろんソフトも生産物だから、photoshopみたいな「最上級品」には、お金を払うべきだとは思うけど、登竜門としてフリーで使えるものが少ないのは厳しい。

金額の多寡が問題なのではない。「お金にまつわるいろいろな面倒くささ」が問題なのだ。音楽や娯楽を、不自由なものにしないでくれ。音楽の作り手も受け手も、そんなものは望んでいない。

クリエイティブ・コモンズ・ジャパン
http://www.creativecommons.jp/

コモンスフィア
http://commonsphere.jp/

 私はあまりyahooを好きになったことはない。僕がネットをはじめた99年、yahooはすでにメジャーサイトだった。
 メジャーサイトとしてのyahooがあまり尊敬できない(強者にものを言わせる的な)行動を繰り返していることもあり、天邪鬼、反骨もあり、いつもyahooの代替を探していた。

 googleは、登場したときから好きだった。完全にロボット型というコンセプトはともかく、リンクの構造を元にして、人工知能的に上位・下位を決めるアプローチは独創的で、きわめて民主的で、自分の考える「インターネット的」なものにピッタリ合った。

 googleは独創的なアイデアにより、独走の地位を築いた。それから数年。「3ヶ月1年」のインターネット業界では、果てしなく長い間、googleはgoogleとして代替不能なものだった。

 mixiのコミュニティ「資料になりそうなwebsite」
 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=1076545
で、最近の検索エンジンをいくつか見た。

 非常に魅力的なものが多い。なんていうか、すごく衝撃を受けた。
googleの独走は、そろそろ終わるかもしれない。ネットのパワーバランスなんて、2005年の今になっても、簡単に崩れるものかもしれない。
 もちろん、googleもユーザーにとって魅力的な、インターネットを前に進める新機能を追加してくるだろう。
 1999年も2005年も、ネットの進化のスピードは変わらない。

 technorati JAPAN
 http://technorati.jp/
 日本語対応。
 過去12時間の間に最も多く話題になったニュースおよびそれに関連した
 ブログエントリー、
 過去72時間の間に最も多く話題になった本およびそれに関連した
 ブログエントリー

 などが表示できる

 vivisimo
 http://vivisimo.com/
 日本語対応。検索結果データから、ディレクトリを逆引きしてくれる
 エンジン。

exalead
 http://beta.exalead.com/
 日本語は非対応。検索結果からディレクトリを逆引き、プラス
 ・一緒に検索されている言葉(”ノートパソコン”だったら”バッテリ”とか)
 ・発見されたページの国別一覧,絞込み
 ・発見されたページのファイル形式(PDF,テキストファイル,エクセルなど)
 ・発見されたページのサムネール
 ・発見されたページのプレビュー
 ・動画検索/音声検索
 などに対応した強力エンジン。

 それぞれ、ぜひ1度見てみてください。

 —SNS,blog等の、「ネットワークサービス」について考える—

前に、ファーストインプレッションを書いてからしばらく、またmixiとかそのあたりのことを書きます。

 最近、30歳を越えたこともあって、「何で今の仕事をしてるんだろう?」「俺は、自分らしく仕事してるんだろうか?」などなど考えました。

 もともと自分は、「なんとか、”1人1ウェブサイト”な世界になって、あらゆる人がそこで”書きたいこと”を書いていくことで、”コイツってどんなやつなんだ”というのが分かり合える世界になるといいなあ」と思っていました。

 大学を卒業してしばらくフリーターして、ニートである自分に嫌気がさして、しぶしぶ会社員になりました。あんまり本音を言わないサラリーマン、本音でしゃべれる友人たちに会おうにも時間のない生活のなかで、「いつでも」「どこでも」「自分の時間」を用意できるインターネットは、解放区であり大義でした。

 当時も今も自分には「気兼ねなくいいたいことの言える場」というのが絶対に必要で、なんとなく「気兼ねして言いたいことの言えない雰囲気」が戦争だの汚職だのの原因、特に日本の社会を窮屈で息苦しいものにしている源だと考えていました。
 その考えは、あまり今も変わりません。規制や配慮、気遣いは「世界を狭くする力、弱いものを押しつぶす力」だと考えます。

 とはいえ、「公空間としてのネット」がとても気に入った(だから、24歳のときからずっと、本名でサイトをやってます)自分ですが、自分を含めて「公空間との付き合い方」がうまくないのが日本人。「不特定多数が相手のコミュニケーション」となると、ちょっと気が引けてしまいます。

mixiのようなサービスは、そこをうまく考えられています。自分を含めてサイトを作るような人は、なるべく多くの人に見てほしい。でも、できれば趣味が近かったり、内容に興味をもって、しかもホメてくれるような人に見てほしい。
 「逆の考えを持つ人に見てもらって考えを変えてほしい」という考えでサイトを立ち上げる人は、いなくはないのですが小数だと思います。

 「情報の海」と形容されるインターネットですが、おそらく人は情報と同じぐらい、ひょっとするともっと多くの「つながり」をインターネットに求めているように思うのです。

 昔書いたコラムを拾い読みしたら、昔も似たようなことを書いてました。

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1999.8.23 コラム 「掲示板は身内でやろう」
私は、あんまり普通の掲示板に書き込みしないし、討論やってるところには参加しないんですね。

1.その人が対象についてどう思ってるか、を知ってる

2.全員似たようなレベルの知識を持ってる

3.参加者が普段どんな喋りかたをする人か、知ってる

の3つがないと、討議って面白くないと思います。

でも掲示板、私は好きなんですね。身内でやってるやつもROMしてるやつも。身内でやってるやつって、そのまま普段の言動が載ってきますから、まあ飲み会やってるようなもので面白いし、普通の掲示板でのバトルトークも、参加しないでみてる分にはいろいろな意見を聞けて、けっこう参考になります。どこで意見が食い違ってるのか調べたりね。

1999.12.18 コラム 「がんばれ!地域サイト」
インターネットが爆発的に流行りだしたころ、2~3年前には想像もしませんでしたが、インターネットはいろいろなところと広く付き合うというよりも、自分の気に入った範囲に深くつきあうためのツールという側面が強くなりつつあります。

「どこでも」よりも、「いつでも」の方が、インターネットの役割としては大きかったみたいです。これまでは、昼間会社で活動してる限り、夜にやれることは限られてました。深夜だと電話もかけづらいし、インドアスポーツ以外のスポーツもしにくいです。
 ヒマでも日が落ちてからは散歩なんてしませんから、住んでる場所に何があるか、自然とわからなくなります。
 自分の住んでるところの図書館の営業時間とか、どんなイベントがそこであるのかとか、そういうことに疎くなっていきます。

そういう情報を、インターネットで補おうというサイトが、だいぶ増えてきました。

2000.01.05 コラム 「本当に、ありがとうございます」
インターネットにハマり、最初はDTP系の職務も多かった職場から、だんだんとweb専任にシフトしつつあるのも、インターネットが、たとえば会社だの組織だのといったものとは違う、別な「つながり」をつくり育んでくれる可能性を秘めていたし、今も変わらず秘めていると思っているからです。

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 ブログの流行で、HTMLだのFTPだのといった、「テクノロジーとしてのインターネットの障害」は解決されつつあります。まだややこしいところはありますが、昔のワープロ並みにはなりつつあります。

 ブログ自体がtrackbackやコメント機能を備えていますし、最近のdoblogあたりをはじめとして、blog同士をつなげていくネットワークサービスが流行しつつあります。

インターネットは情報でなく、つながりのメディアになりつつあります。かつてのインターネットの「”なんでもあり”ならではの戸惑い」を、繋がりが埋めつつあります。海の向こうではニュースキャスターや政治家といったオールドメディアの人も、ブログを持ったりコミュニティで発言するようになりつつあります。
 オールドメディアも今、ネットなしには編集も製作も成り立たなくなりつつあります。

おそらく、この「つながり」はほかのメディアを多いつくし、ネットがメディアの中心になる時代が、そんなに遠くなく来るでしょう。「自分と誰がつながっている、それはどういう関係だ」ということが、今よりだいぶ視覚化された世界が、もうすぐ来る。関係性さえ近ければ、距離も時間も関係なくなる世界になったとき、人がそれぞれ「俺は何でこの場所にいるんだっけ?」と考えるとき、その「一つ一つのことを考えて、選んでいく」という行為は、世の中の有り様をちょっとずつ変えていくと思います。

独立行政法人 労働政策研究・研修機構
http://www.jil.go.jp/index.htm

というサイトで、
『インターネット調査は社会調査に利用できるか』 (pdf)
http://www.jil.go.jp/institute/reports/2005/documents/017.pdf

という調査をしています。

訪問型とネットで同じ調査をして比較、検証するのは初めてだそうで、早速ダウンロードして読み始めました。
なにしろ374ページもの資料なので、読みきるのはだいぶ先になると思うのですが、
「よい調査とは」みたいな項目、国内/国際的な実例もあり、なかなか面白そうです。

 結果として、従来型(訪問など)と、インターネット/郵送などでは、結果に違いが出たようです。

「インターネット調査と従来型調査では結果に差が現われる」との実験結果(internet watch)
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/02/09/6405.html

「仕事や家庭を含め生活全体で充実度が低い」
「多くの側面で満足度が低い」
「多くの側面で不公平感が強い」
「職業能力について自信がない」
「心の豊かさを好む傾向が弱い」
「平等社会よりも競争社会を好む」

などなど、要は「いらんこと言い」が多いというデータ。

朝日の記事だともっとあからさまで、タイトルからして

ネット調査、「不満」高めの傾向 訪問面接と比較(asahi.com)
http://www.asahi.com/tech/asahinews/TKY200502060068.html

ネット調査4社のうち3社の回答者は公募したモニターで、高学歴で専門技術職の人が多く、一方で、派遣やパートなどの非正社員が訪問調査よりも多い傾向も分かった。

 とのことで、どうやら高学歴の人は低学歴の人より、専門技術職の人はそうでない人より、正社員は派遣やパートよりも「不満が高め」の傾向があるようです。
かなり皮肉な結果ですが、自分を見るとそうかもしれません。

もっとも、ネット調査のほうが終身雇用に否定的な結果が出るなど、いちがいに決め付けもできにくいですし、ネット調査の反対側にあるのは対面調査。

「ネットよりも対面のほうが否定的なことを言いにくい」→たしかに、そのとおりだと思います。

つまり、手法(ネットか対面か)に原因があるのか、そもそも母集団が違っている(ネット調査の対象と対面調査の対象が違う)のかは、記事からではよく分かりません。朝日の記事はミスリードを招く「決め付け」が入っていそうです。

とりあえず、調査結果をしっかり読んで見ます。

新しい言葉狩りがはじまる?
blog watcherの出現と、2chのユーザー数現象

今月号(2月号)のInternet magazineインターネットマガジン 02月号 [雑誌]にも載ってる、blog watcherがとにかくすごい。

blog watcherブログ検索サービス
東工大の奥村研究室で開発・運営中のサービスで、blogに特化した検索エンジンの一つ。
何が面白いって、テキストマイニングの機能を使った、「キーワードごとのblogでの評判」を調べる機能が面白い。

キーワードごとに、「このキーワードはネガティブな評価かポジティブな評価か」を調べることができるようになっている。

たとえば、何かと話題のlivedoorの評判はこれ。
eval_graph.png

やっぱり野球で話題の時期に急に盛り上がっているけど、サービス自体にはネガティブな使われ方が目立つ。「livedoorのサービス重い」とか。

逆に、同じ野球関連ワードでも清原なんかは扱われ方が違う。
kiyohara_graph.png

浦和レッズだとこんな感じ。
urawa_graph.png

まだ対象になっているblogが少なく、ロボット型検索エンジンの精度には問題がありそう。
私のサイトの記事もまったくヒットしないし、何人かの友人サイトの記事もヒットしない。
でも、評判を見れるという機能はとても面白いものだし、検索制度なんかはどんどん上がると思う。

1年前に1日500万ユーザほどあった2chのアクセスが、今は150万ユーザぐらいになっているらしい。
blogと付帯サービスの進化によって、巨大掲示板の役割はだんだん縮小しつつあるのかもしれない。

blogと評判がリンクする、blogの影響力・認知度が強くなると、規制も働きやすくなる。
アメリカでは、
個人ブログが「やぶ蛇」に–ネット企業が社員を解雇(CNET)
のようなこともあると聞く。(非常に腹の立つ話だが…)

blogにまつわる「常識」が、だんだん作られていくのだろう。

スポーツ好きの友人とサッカーの話をしていて、また球団運営の話になり、つづいてインターネットの話になった。私のサッカー好きの友人は、ほとんどが野球も好きで両方見ている。
スポーツそのものの面白さは、洋食と和食、どちらが好きと話すのと同じで、話題にするのもばかばかしいし、野球はもうオフシーズンに入りつつあるので、プレーそのものの話をするよりも球団運営の話になることが多い。いつも「サッカー界は頑張ってるが野球はダメだ」という結論になる。

サッカーファン、というかサポーターは熱心だ。ゲートフラッグにせよ横断幕にせよ、それがポジティブであれネガティブであれ、自分の意見を常に言いつづける。
ムカついたことがあったら石を投げたフィールドに乱入したり選手バスに生卵を投げたりするし、リスペクトするなら普段も応援するチームのグッズをつけていたりする。
野球だと、せいぜい携帯の着メロを「六甲おろし」にするぐらいだ。

この違いは何から生まれるのか?スポーツそのものの質とは関係ない、と思う。
ちょっと広めに考えて、「物事を、人を巻き込んで発展させるにはどうすればいいか」、野球やサッカーだけじゃなくて、政治にせよ自治体にせよ町おこし村おこしにせよ、「楽しくてアツく暖かい世の中になるには、何が必要なのか」と、ちょっと考えてみる。(たいていどちらも酔っ払ってるので話は広がる)
国民性とも関係ないと思う…けど、外国を見てるとたまにうらやましくなるのは、日本の何が不満なのか。多分それは「閉塞感」なんじゃないか、という話になった。

自分が考えたり動いたりすることに、何か反応があるかないか。何か反応があるものに対して、人はアツくなるし、ないものには閉塞感を感じる。一番面白いのは人間だ。
インターネットだって、結局は人間が相手のもの(blogとかオンラインゲームとか)しか流行らなくなったし、GNU/Linuxのハッカー/オープンソース精神にしても、あれはハッカー仲間どうしの贈与の精神があるから機能していて、結局は人間の産物だ。
お役所的に、何の反応も返ってこないものを相手に、人はアツくなれない。
投票率が下がる一方で、政治に対する関心がどんどん減っていくのも、この閉塞感のせい、別の言葉でいうと「何を言ってもダメさ加減」のせいじゃないだろうか。Jリーグはその意味で、サポーターの声にいろいろ試行錯誤しながら答えつづける、非常に人間味のある集団だ。

「こいつに何か言ったら、こいつはこう変わるんじゃないか」 「俺がこれを言ったら、こいつはこう反応するんじゃないか」
コミュニケーションは、お互いがお互いに与える変化の積み重ねだと思う。自分が他人の影響によって変わらなければならないから、コミュニケーションされるのはそれなりにやっかいだ。なんとなく古い「サラリーマン的」な日本社会は、「コミュニケーションをなるべく避けるにはどうするか」で成り立っているように思われる。出る杭は打たれる。

その意味でインターネットを見渡すと、流行るサイトは何かしがの変化性を持っている。常々何か変わっている。googleのように、開発者が「禅の世界に通じる」というシンプルさを持ってはいても、新しいサービスが付け加えられたり、アルゴリズムがしょっちゅう変わっていたりする。1年2年単位で、インターネットの使い方は変わっていく。3年前のインターネットは、今のネットとはだいぶ別物だ。

「メディアはメッセージである」 マーシャル・マクルーハン
この言葉は、好きなように引用されつくしているけど、彼の本そのものを読んでいる人は人は使った人の100人に1人もいない。自分だって、学生時代に多分何かは読んだけど、マクルーハンのどの本をどう読んだのかはすっかり忘れてしまっている。第3次産業の人は、ハッタリや知ったかぶりが好きだ。
インターネットはまだ、メディアとしてのメッセージ性を持っている。インターネットを使うと言うことは「何かしがのレスポンスを受け付ける」ということだ。サイトを開いていると言うことは、人からのレスポンスを待っていると言うことで、それは郵便ポストを公開しているのと変わらない。

ネットはコミュニケーションを、ご大層なものから簡単なものにしてくれた。「声をあげる」難易度は、リアルよりネットのほうがだいぶ身近だ。小田嶋さんのサイトにあるこの話(必読!)のように、
封書の手紙は、差出人が普通の人じゃないケースがけっこうある(電子メールの場合はその限りではない。ほとんどはマトモな読者からのものだ)
封書とメールでは、届く内容がだいぶ違う。
サイトが閉鎖的だと、届く数少ないメールは「それでも一言言いたい」極端なものになる。聞く耳を持たなそうな相手に話すときは、表現が激しくなる。
アメリカがイラクで行っているようなの統治活動だと、抗議はすなわち自爆テロになる。

ネットのコミュニケーションの容易性は、ちょっとずつ社会を変えている。
10年前、プロ野球とJリーグの運営に、たいした差はなかった。今は大差がある。同じことが社会のさまざまなところで出始めている。世の中を嘆かなくても良くなるときが、おそらく来ると自分は思っている。

たぶん、こんなことを書きたくなったのは、何より震災直後から新潟中越地震 被災者救援本部@2chを見ているからだと思う。
(自分もこのサイトを見て、ちょっとずつできることを始めました。)

 ヌーベルブログでのこの記事
http://www.adnec.com/blog/archives/2004_10_07_173910.html
を見ると、はてなアンテナのバックボーンは、わずか15Mなんだそうです。
2004年 9月度で 1.6億PV を記録した、日に換算するとだいたい 500万強PVの巨大テキストサイト「はてなアンテナ」が、だいたい15Mの回線でさばけることになります。
 これなら、今は月に5000円以下で引ける家庭用の光ファイバ(ひょっとすると、世界一安いんじゃないか?)があれば、どの家でもこんなサービスを自前で構築することが、インフラだけ考えればできることになります。

 おそらく、この規模のサービスだと、最低でもサーバーが6-7台(構成にもよるけど)必要なように思えますが、それもそれぞれが安価なPCの寄せ集めでイケるわけですし、おそらくミニマム数十万円の規模で、まあなんとかなると思います。学生がバンド組んだり何か新しい趣味始めるときにかかるコストと、そう変わらないんじゃないでしょうか。

 はてなアンテナのように「安価な回線とサーバ,たっぷりの情熱と知識」という構成でなく、コマース・決済系の商用でガチガチな世界だとまったく別で、ダウンしてから復旧まで何分以内とか、メイン系と待機系を持たなければならないとか、広告宣伝の結果によってアクセスに極端なピークが来るからそれに備えるとかで結局何千万円の話になりますが、おそらくはてなのような構成で作り上げても、それほどサービスレベルは下がらないと思います。(その「ちょっとの差」と「保障」が商用系だと問題なんですが)

 はてなの伊藤さんは、この記事をこう結んでいます。

開発にかかるコストはもはや個人の財布でどうにでもなるところまできました。インターネットの世界で何かをするために必要なのはお金でもなく設備でもなく、ちょっとしたアイデアと一歩を踏み出す勇気だけかもしれませんね。

 まったく同感で、オープンソースのソフト、法制度、文化その他もろもろ、人々がインターネットに詰め込んだ情熱と知恵とエネルギーが、コストをさほど重要視せずなんでもできる、今のインターネットを作りつあります。
 「面白いこと」重視の文化、というものがインターネットにはあると思います。

 最近いたく感心したレッシグ教授のCODEにあるように、「技術の世界では、当初の思想どおりに物事が設計されていく」のですから、今のインターネットが、(趣味で自分でやる限りは)コストのかからない世界になっているのは、そうインターネットが設計されたからだと思います。
 このあたりは携帯サイトが、キャリア主導の、ハナから「企業が提供するもの」として動いているために、ビジネスはともかく、文化としてはさほど動いていないのとは好対照だと思います。

 ただ、自由なるインターネットも、どんどん成熟しつつあります。未成熟なときは怪しげで「面白ければ何でもあり」の世界だったインターネットは、既存の「システム開発」の枠組みに取り込まれつつあります。

 「インターネットにつながるコンピュータやサービス」は、ある意味凶器のような破壊力を出すこともできますから、使い方を制限するのもわかります。
 また、「使い方」について、きっちりとルール化していくのもわかります。昔は「わかってる人」だけの道具だったものを、みんなで使うようになるわけですから。

 きっちりした「システム開発」の文化で育った人は、「情報の階層化」や「ストレスにならず、かといってダダ漏れにもならないセキュリティ」といったものを身に付けて育ちます。リトル★ハッカーにあるとおり、「もうネットはハッカーくずれの闊歩する世界ではない。ホンモノのハッカーはだいたいセキュリティの専門家として稼いでいて、独学の少年がしっかりしたシステムに侵入するのは難しくなっている」のです。成熟した世界であるだけ、学ぶこと・覚えることは増えてきます。
 難しくなれば、面白いところにたどり着くまでに必要なものは増えてきます。ルールを覚えて使いこなすのは煩雑ですし、いちいち監視や報告をしなければならないのは、ウザいだけです。

 自分の会社や得意先でも最近、個人情報保護法案のせいもあり、資料は必ず鍵のかかる箱に入れなければならないとか、USBメモリやCD-Rの使用が制限されるようになりつつあります。システム開発が専門の会社になると、アプリケーションのインストールが制限されていたり、そもそも外部へのインターネット接続自体が禁止されていたりします。
 (情報収集目的でも行ってはいけないそうな)

 怪しい世界から抜けつつあるから、ルールができてくるのは当然です。スペイン・ポルトガルが南米でやりたい放題やっていたような時代は、もう終わっているのですから。

 ただ、こうやってネットが進化していく中で、「面白いこと重視」な精神までルールを設けられ、枠の中でしか発想できなくなっていくとしたら、それは避けなければなりません。インフラコストが下がり、ますます「新しいことを始めるコスト」は下がりつつあります。

 面倒くさい事は増えた。つまらない事も増えた。でも、コストが下がるとか新しいツールが出てくるとか、便利な事も増えているし、「おもしろさ」はまったく変わっていないはずなのです。

blogの隆盛で、コード書きだけではなく、「ネットについて何か書いたり・読んだりしたい人」にとっても「やりやすい」世の中になりつつあります。

blogの隆盛は実際たいしたもので、自分が興味を持っているいくつかのテーマ(サッカーとか)では、深い議論はどんどん2chのような匿名掲示板から、blogの世界に出てきつつあって、ネットの中の情報のありかたも変わりつつあります。
(そのぶん匿名掲示板が荒んできている気もするのですが)

 自分自身はプランナーなので、閲覧制限は掛かっていません。勤務中でも気晴らしにいろんなサイトを見ることはあります。
 ただ、家でじっくりサイトを見て、こうして何か書く時間はキープしつづけたいと思います。オフィスの制限された環境は、ネットが生まれ・育ってきた雰囲気とはまた別のもので、そこに染まってしまうとサービスはできても、「新しいことを始めるちょっとのアイデアと勇気」はなくなってしまうかもしれません。情報を受け取るのではなく、出していく。消費するのでなく、自分のものとしてちょっとしっかり考えてみる。良いサービスなら広めてみるし、悪いサービスなら使わないように呼びかけるか、改善のポイントを送る。
リアルの世界とはまったく違うスピードで、コミュニケートしたら答えてくれる。環境を変えることが出来る。
常に変化し続ける事が、そもそもネットの魅力だし、気に食わない変化の兆しに対しては、何らかの手段で「別の道」を提示できるのもインターネットなわけですから。

 NDO:Weblogのこのgoogle desktop searchの記事にあるように、新しいものが出たらとりあえずhack(そりゃあ、どの程度の腕によるけど。自分だと、使ってみるだけでhackだけど)しなくなったら、その向こうに「ちょっとのアイデアと勇気」は出てこなくなると思います。

 あくまで1ユーザ。何の束縛も制限もなく、「面白い事」を追っかけていく。
AdministratorだろうがDirectorだろうがマネージャーだろうが、「インターネットの世界」で存在しつづけるには、その感覚を持ちつづけなければと、自戒を込め思います。

 大学の後輩に誘われてmixiをはじめた。ちょっとここ最近忙しくて、しっかりさわれていないので、これがどんなツールかはよくわからないけど、なかなか面白い。
 まだロクに使っていないので、ほとんど感想文になるけど、だらだらと書いてみる。

 とりあえず紹介してくれた人に挨拶して、同じつながりの友人たちに挨拶して、他者紹介の紹介文を書いて、その後はメッセージがくるまでログオンしてない。

 これは、これまでになかったサービスだ。コンピュータにはあまり興味のなさそうな後輩たちが、何人も参加していて、こういうサービスはこれまでになかった。
 これまでにない、だからスゴイのかというと、いまいちわからない。
「これで何が出来るのか?」と言われると、まだピンとこない。結局は「会員登録が必要」なので、ネット全体に影響を与えられるわけでもなく、閉ざされた場だから、ネット全体に影響を与えていくかどうかというと、むずかしい。

 でも、「パーソナル」にここまで焦点が当たったサービスはこれまでなかった。blogは「誰が書くか」よりも「何が書いてあるか」のほうが重要だし、コンピュータは「情報」を扱うものであって、個人の体温を伝えるのは、そもそも主用途ではないように思うけど、mixiは違う。「誰がやってるか」のほうがよっぽど重要だ。

 よく、「コンピュータの向こうにいるのが犬でないとは、誰も証明できない」と言うし、自分の友人は実際に犬の写真を貼っているけど、そいつが犬でないことは皆知っている。

まず「人」、それから「コンテンツ」という順番は面白いと思うし、最初に「紹介」をもらわなければ入れないことで「人同士のつながり」を生み出すのは、とても良い考えだと思う。下手にmarketroidな考えで作ると、初期会員数確保のためにロクでもない登録の仕組みを作ってしまい、凡百のコミュニティになっていたかもしれない。いかにもダイレクトメールが来そうな会員登録の項目とか。

 今のmixiは、その意味で「作りたいものを作りました」的な、とてもよく出来た仕組みだ。blogとの親和性は高いだろうし、携帯との連動も高いだろう。
(多分、携帯の電話帳を公開してるように見える)

これはこれでネットの可能性だと思うし、知った中同士というのはある程度の「自由」を保証するので、mixiはどんなことを可能にするのか、mixiってなんなのか、使いながら考えてみようと思う。

ところで、自分はたまたま本名でblogをやってるので、mixiのほうがハンドルネームなのはかえって妙な気がする。mixi ID はfire。

CNETの記事で読んで興味を持っていた、amazonのCEO、ベゾズのインタビュー記事を訳しました。

このベゾズ、どうやら「ハッカー気質ありのCEO」見たいな人で、自分のやりかたと、そのやり方で会社を成功させることにメチャメチャこだわっている。
この「こだわり」が、「ネットならではのスゲェサービスを実現させてやる!」という心持から出ているように思え、その部分が金儲けの下世話さをなくしているように思える。

 マーケッターはハッカーたちにmarketroidと言われてバカにされる。これは、自分で自分のやることを決めるんじゃなくて、アンケートだのデータだのをいじくりまわして数字にもてあそばれているからだと思うけど、ベゾズは違う。
多分ハッカー的な、「全身かけてやりたいことをやりたいように」やった結果、amazonのようなサイトが生まれたのだと思う。インタビューの、「自分を信じて疑わない」ぶりは、ストールマンみたいだ。

 自分の中では、「セマンティックweb」の考え方と、このベゾズの「クチコミ指向」みたいなものが、何か妙にマッチする。

この記事「ベゾスの語るクチコミ力」

 ベゾスの記事はまだネット上にあるみたいなので、いろいろ読んでみて、「ネット企業の生き残りはどういう考え方でやっているのか」を、また考えてみたい。

原文はこれ。(businessweek)
Jeff Bezos on Word-of-Mouth Power
http://www.businessweek.com/magazine/content/04_31/b3894101.htm
 私は英語ぜんぜんダメで、エキサイト翻訳に頼りきりだったので、誰かコメント欄でツッコミを入れてくれるとうれしい。

世界的ブランドを、オンラインで増強するには

ジェフ・ベゾスの語る「クチコミ力」

「よりスゴイ経験を顧客に与えれば、クチコミで広まる。それはテレビ広告より影響が大きい」と、
アマゾンのCEO,ベゾスは語る。

amazon.comは、9年前にweb上にweb siteを立てるとすぐに、もっとも知られているweb上のブランドの一つになった。
しかし、2000年を頂点に弾けた、ドット・コムの波に乗ることは、amazonの評判を曇らせた。

それでもベゾスCEOは、彼の考えるサービスを顧客に提供する事を止めず、推進しつづけた。
それはここ四半期の利益と続ける成長だけでなく、市場でのamazonの株価、ブランド価値の増大という形で報われた。

最新のBusinessWeek/Interbrand調査によれば、アマゾンの商標ランキングは昨年22%上昇した。
以下はBezosが最新のBusinessWeekインタビュー「何がamazonのブランド価値を増したか」に答えた抜粋である。

Q.最初、amazonを立ち上げたとき、どうやってamazonのブランドを作ろうとしたのですか?

A.まず、「ブランドを造る最良の方法は、優れたサービスを提供することである」ということを、自分たちのために固く信じました。
顧客は、自分たち(サービス提供者)と対話することによって、「amazonが何者か」というのを知るのです。会社のブランド価値は、個人の評判に似ています。大変なことを多く行うことで、短い時間でも強い印象を与えられます。自分たちは、ブランド構築に近道などないと信じています。

Q.広告はどのぐらい、ブランド構築に重要なのですか?

A.私たちはテレビ広告を行わず、その部分の予算を全部サービスに、たとえば25ドル以上の商品の発送無料、より特徴的な割引サービス、取扱商品の増加等に振り向け、より新しいサービスを増やすことに振り向けました。

私たちは、宣伝費を取り去り、その分をサービスを拡張してより良いものにするために使います。もしも優れたサービスを作れば、顧客は互いに広めてくれるでしょう。クチコミは非常に強力です。

Q.amazonのこれまですべてのパブリシティよりも、クチコミがブランド構築の要だったと思いますか?

A.間違いなく。自分たちが最初に行ったのは、人々が「わかりにくい沢山の製品」から、簡単に目的のものを見つけられるようにしました。目的のものにマークをつけられるようにしました。
もしも人々がマークをつけることが出来なければ、クチコミは発生しなかったでしょう。

Q.どうやってクチコミを発展させたのですか?

A.続けてずっとクチコミを増やしつづける方法は、サービスの改革だけです。私たちは革新を通じて、何かに取り付かれたような、徹底した顧客指向を、身をもって表現します。私たちのサイトと行っているサービス(無料の特価品出荷のような)を見れば、私たちがすべてにおいて「より良くする」ことを狙っているのがわかると思います。

私たちは顧客をパーティへのゲスト、自分達はもてなすホストと考えます。自分達の仕事は、顧客のすべての面について、毎日少しでもよいサービスを提供するものだと考えています。私達は生まれつき、顧客の利益のために改善する大きなチームを持っています。

Q.ブランドを構築するのに、コミュニティー感覚はどのぐらい重要なのですか?

A.「コミュニティー」はとても広い意味の言葉なので、何を意味するかを固定しなければ話になりません。私達は「人が物を買うのを助ける人」を意味します。自分達はネガティブな顧客のレビューも載せます。それも我々のブランドの一部です。

ネガティブな意見も載せ始めたとき、人々はとても驚きました。でも、今はそれに慣れていて、特にネガティブな意見ばかり見るような人はいません。
はじめたばかりのころは、出版社(メインの商品である本の提供元)から「君はビジネスをわかってない!物を売るのがビジネスだ!」と言われましたけどね。

私達の視点は違います。顧客の購買行動を助けるとき、私達は利益を得るのです。ネガティブなレビューは、人々の購買行動を助けます。非常に顧客中心の視点です。結局は、「念入りに良いことばかり書いてあるレビューを選ぶ」より、多くの製品を売るでしょう。

Q.どのようにして、レビューを聞いていなかった人とamazonのブランドをしっかりつなぐのですか?

A.それは、「仕事」に背を向け、「顧客と共にはじめること」に関係しています。改革です。私達は2つの文化、「革新」と「顧客指向」を持っています。私達は「顧客のための仕事」と思ってはじめたくはありません。「顧客と共に」問題解決と改革をしたいのです。すべてのことに対して、同じアプローチで行います。

ブランドはいつも、行動を制限してくれます。私達が人真似や、改善を止めたとき、ブランドは錆びはじめるでしょう。

具体的な例として、私はいつも尋ねられます。
「なぜ、ブランド名に頼って、実際の店を開かないのですか?」
自分達の回答は…自分達は、どうやって実際の店を改善するかわかりません。今の店を運営する人は非常に良い仕事をしていて、自分達の改善の余地が見つかりません。改善できなくては、ブランド価値が下がるでしょう。

Q.「実際に対面して買いたい」という顧客のことを考えていますか?

A.はい、考えています。私達は「顧客は賢い」という視点で考えています。リアル店舗を持てば、満足する顧客もいるかもしれませんが、めったにない方法だと考えています。
「いい方法かもしれませんが、人々は満足しないでしょう」

Q.伝統的なブランド構築、実質と違うイメージを作る試みは、webみたいな透明性の高いメディアにおいても有効ですか?

A.イメージが必ず出来るとは限らない…が、ビジネスはそれを狙う…ものは、「実際とは違うように見せる」ことです。
自分で広告を扱っている広告マンでさえ、広告と中身が違うことを知っています。だから余計に大声で言うのです。

代理店やキャンペーン会社に会うと、「(広告と)現実は違うのに」と考えます。それは広告屋が顧客を騙せると信じている例です。彼らはいつも、顧客を過小評価しています。

Q.マスマーケットに影響を及ぼすのは、より難しくなっています。アマゾンはどうやって3000万人以上の顧客にリーチしたのですか?

A.あなたの言うその顧客(マスマーケット)が、まさに狭いマーケットなのです。セールスチームが個々の客に売り歩く、または1億人の顧客に多くのTVコマーシャルをする。どちらも成功するかもしれません。

問題はいつも、リーチの難しい「中間サイズの客層」にあります。15000人の顧客がある場合、直接販売には多すぎて難しい。だが、テレビを使うには小さすぎる。

私はその、「中間サイズの客層」が、自分達の顧客だと考えます。ちょうど出版社が持っている本に見合う数です。数として中間層に位置する単行本は、ちょうど15000部出ます。私達の作ったツールは、ぴったり15000人の顧客を見つけてきます。これは大事な、アプローチの変更です。

Q.何がamazonのブランド価値の急激な増強の原因ですか?
最近何か特別なことをしましたか?

A.私は、全てを根っこから集中し、継続させつづけました。-選りすぐられた商品、より低い価格、より役立つ選定ツール(選択サービス)、商品に対するより良い情報提供。

一つ挙げれば、私達が本だけでなく、電化製品や調理器具、家具のようなものを売ることに、人々が気付いていることです。
どこかで限界点を超えたのかも知れません。より多くの人々が、私達のサービスに気付いています。

でも、新商品の提供も、4年前からはじめていたものです。特に新しいものはありません。

Q.「マスメディアにまったく投資せずにブランド価値を上げた」という話は、まったく魅力的です。
あなたは、マスターゲットに向けて再び広告すると考えますか?

A.いいえ。絶対ありません。私は自分の戦略を信じています。

セマンティックweb(オマケつきweb)によって何が可能になるかについて、もう少し考えてみました。

セマンティックwebの図はこれ。
semantic.gif

人はコンテンツ(情報)を受け取るときに、情報そのものだけを受け取るわけではありません。その情報を「誰が」発信したか、「いつ」発信したかは、時に情報そのものと同じぐらい重要なこともあります。

意味のない情報が属性情報で意味を持つ、という例として、「XXというレストランの食事がおいしい」という情報で考えてみます。

普通なら、どこかのwebページにこれが書かれていても、おそらく気にとめない、無視される情報だと思います。

これを「知り合いや家族」が言っていたら、聞くかもしれません。またはこの情報が「近所や今度旅行に行く先で発信されたもの」だったら、聞くかもしれません。
さらに、「最近」だったら、もっと価値があるかもしれません。

人がコミュニケーションする(情報の受け渡しをする)ときには、情報そのものに加えて、属性情報で無意識なフィルタをかけています。家族の言うことにそれとなく気を配っていたり、「よく読む雑誌」や「好きなブランド」のものは注意深く見たり、電車の中刷り広告や電柱の広告はシャットアウトしたり、古いチラシだったらそもそも中身を見なかったりします。

「聞くべき・聞かなくてもいい」というモノサシ、「信用できる・できない」というモノサシ、「興味のある分野・ない分野」というモノサシを、みんながみんな持っています。
それを「受け取る側」から見た時に価値観と呼んだり、「情報を出す側」から見てブランド(XXに書いてあることなら信用しよう、とか)と呼んだりします。

人の頭の中にある情報は、そうやって無意識にいろいろな属性情報がつけられて、グループ化されていきます。それぞれの情報の中で重要・重要じゃないというランクがつけられていきます。

この、頭脳の「情報を溜め込んで、整理して重要度をつける」という仕組みは、検索エンジンの仕組みに似ています。というか検索エンジン自体が人工知能のプログラムなので、エンジンが人間に似せている、というほうが正しいんですが。

セマンティックwebは、属性を含めて配信することで、この「人間の無意識な情報フィルタ」に近い情報の出し方・受け取り方を可能にします。

それまでの、ハイパーリンクによるwebに比べて、「グループ」とか「属性」とかの概念が加わり、リゾーム(図)のような構造に向かってネットが進化しつつあります。

fig5_1.gif
リゾーム図 出展

 「情報の出し側」として提供する、サイトを見に行くと書いてあるのは、これまでどおりのリンクの構造。情報の受け手側の方で、さまざまにフィルタリングして(近所だけとか、知り合いだけとか、最近だけとか..逆に、XXに関するものなら全部とか、「最近見たものに似たもの」とか)情報を受け取るようになっていくと思います。

コラム95回「レッシグ 「free culture」でのblogのあつかい,そしてセマンティックwebに見るwebの将来」の続き的な内容です。

 前回のコラムで説明し切れなかった、「セマンティックweb」の「セマンティック」とは、意味とか意味論とか言う用語で、コンテンツに図みたいなさまざまな属性情報(メタデータ)を追加していく、という概念です。

図にするとこんな感じでしょうか。「オマケつきweb」と考えると良いと思います。
semantic.gif

 この概念を実現するために、それぞれの付帯情報の標準的な書式があり、RDFやRSSのように技術としてすでにかなり普及しているものもあります。

 概念の部分と、それを実現している技術の部分、単に「セマンティックweb」と言ったときには両方のことを指してしまい、話がややかみ合わなくなることがあります。
「どんなオマケを、どういうふうにつけるか」の話と、「オマケをつけるというアイデアそのもの」がゴッチャになると、話がおかしくなる、という話です。

 トラックバック先の江島健太郎さんのblogなんかは、「メタデータという思想はいいとして、いまの標準化のやり方では問題があるし、そもそも”標準化”じたいがいいことかどうか?」という問題提起です。他にも、まだ普及が甘いとか、現状マニアしか使ってないとか、そういう話はあります。

 今回のコラムで話題にしたいのは、概念として「オマケをつける」という「考え方」がアリだということ、今の時点でもそのおかげでこんな新しい、便利なものがでてきている、というお話です。

 付帯情報が加わることで、
 →カテゴリの付加情報に注目して、ニュースだけを絞って持ってくる
 →付加情報同士を比べて、関連の有る情報を並べて表示する
 →関連のある情報同士を比べて、どういう意見グループが存在しているか
 →ニュースか旧文か
 →もともとどういう意見の人の発言か
 →この発言に賛同している人はどのぐらいいるか
 などなどを掘り下げていくなど、データベース的に使うことも出来ますし、Tomo’s HotLineで言われているような、セマンティックメールもありえるかもしれません。(もっとも、メーラーはすでに結構付加情報がついてはいます)

network stylyサイトで言われている話のような、拡張していくとどこまでいくかわからない、という魅力もあります。

 すでにRSSというメタデータは実用化されていて、blogシステムのほとんどや、ニュースサイトの多く(朝日新聞まで!)は対応しています。手元のパソコンでRSSリーダを使うと、非常に便利にサイトの更新情報をとってくることが出来ます。
 (RSSのニュース斜め読みの便利さ、これについては、何度解説を読んでもわからないです。自分で無料のRSSリーダーをインストールして使ってみることをオススメします。自分が使っているのはglucose
それでも解説を、という人はセマンティックWeb技術・RSSを解説するサポティスタ選定「年間最優秀サイト2003」補講RSS解説編(サッカーファン向け)を見てください。

この、セマンティックwebという仕組みは、検索エンジンの仕組みと多少似ている部分があります。
検索エンジンは、個々のコンテンツに、この図のような意味をもたせることで
seo_mini.gif
拡大図(用語説明つき)
順位の上下をつけています。セマンティック化している、と言えるかもしれません。
 検索エンジンの仕組みの詳細な説明は以下のサイトを。
サーチエンジンの仕組み(1) - クローラー
サーチエンジンの仕組み(2) - インデクサー
サーチエンジンの仕組み(3) - クエリーサーバー -
 

とはいえ、検索エンジンはこの仕組みを実現するのに、ものすごいマシンパワーと開発ノウハウをつぎ込んでいます。
 自分がクライアントPCでRSSリーダーを使うのに比べたら、段違いの資産を使って、検索エンジンという仕組みを実現しています。これは、検索エンジンが意味(セマンティック)の解析を、自動で行っているからで、セマンティックwebの試みは、この部分を多少「きめごと」にしてあげることで、容易にやりとりできるようにする仕組みだといえるかもしれません。キーボードを使って入力する(セマンティックweb)のと、言葉で話してコンピュータが解釈する(検索エンジン)の違いといえるかもしれません。

セマンティックwebで、blogのトラックバックのような仕組みも生まれました。これはamazonのように、「この本を見た人は、こんな本も見ています」のように、付帯情報間をつないでいく仕組みです。セマンティックwebの仕組みにより、コミュニケーションがしやすくなります。

 この仕組みのことを「協調フィルタリング」と呼びます。フィルタリングというと勝手に分けるイメージがありますが、誰かが決めた分け方でなく、ユーザが自分の好みを選んだ結果が蓄積されるとか、そういう仕組みのことです。
セマンティックwebの仕組みは、「ネット全体のamazon化」のような可能性を秘めています。

 ネット全体を巻き込んだ「協調フィルタリング」が可能になることで、実際のメディア含め、ネットの姿が多少変わってくると考えます。

 「どう変わる」かについては、次回つづけて書きます。

参考

セマンティックweb CNET
http://japan.cnet.com/column/watch/story/0,2000050148,20053510,00.htm

セマンティックweb CNET ティム・バーナーズ・リー
http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000047623,20062001,00.htm

Free Culture

2日かけて、ローレンス・レッシグ 「FREE CULTURE」を読んだ。
まず感想なのは、「ネットはライブ、生き物だ!」ということ。

まだまとまっていないから、今日か明日に追記する。

追記しました。
———————————————————
世の中には目に見えないことが多い。「自由」とか、「規制」というものの中身は、わかるようでわかりづらい。それこそ尾崎豊はじめ、たいていのロックは自由について唄うけど、どういう状態が「自由」なのか、「権利」はどの程度認められるのかというのは、なかなか感覚でつかみづらい。

世の中を作っているルール、たとえば法律が何か変わると、それで自分たちの生活は多少変わるはずだし、生活が変わったらルールも変わらなければならない。たとえば自分の住んでいる都内のごみ捨て場には、日本語に加えて必ず英語・ハングル・中国語でも注記が書かれている。もしも彼らがきっちり定住して世代を継いで行くようになったら、冠婚葬祭や教育含め、いろいろルールは変わるだろう。

そのルールを決めることまで含めて「生活」なんだけど、やっぱり国やインターネットといった大きいレベルになると、それは他人事になりがちだ。レッシグのこの「free culture」は、まずその「他人事」をブチ壊してくれた。

義務と権利を扱うルールの話をするときに、まず、飛行機が始めて飛んだころの話から始まる。飛行機が登場する前の土地の権利は、土地の上空すべてに対して適用されていた。飛行機が飛ぶようになって、「上空は公共の空間であり、土地の持ち主に左右されない」というルールが新しく生まれた。

 これにつづいて、FMラジオが発明されたときに、AMラジオの権利者の強力な政治家ロビー活動でFMの普及が阻まれた例なんかが出てくるのだけど、ここで活写されるのは
「ルールは、新しい物が出てくれば変わる!」ということだ。

何か生活を変えるものが出てきたら、ルールはそれにあわせて変わる。法律や憲法みたいな大掛かりなものでも、変わらないと世の中が成り立たないようであれば変わる。
それぞれの問題について、「なるべく変えないように」という人々と、「どんどん変えてしまえ!」と思っている人々はいて、さまざまな手段を使って争う。

それは相当にライブ感に満ちた、エキサイティングな世界だ。その争いでは雰囲気作りを含めたいろんな努力が必要で、その議論にはblogの持つ役割が大きく扱われていたりする。

たとえば6-7年前のインターネットと今のインターネットがぜんぜん違うものであるように、6-7年後もぜんぜん違うインターネットになっていることはありうる。たとえばメディアがネットの導入でもっと風通しが強くなって、個別の判断に直接の利害者の意見がもっと反映されるようになるとか。たとえばJ1,J2のサッカーチームとサポーターの間では、ネットを媒介にしてそういう関係がここ数年で築かれるようになっている。これが個々の問題..たとえば年金や消費税といった話に反映するかもしれないし、メディアと報道に影響を与え始めることもできるかもしれない。

たまたまアメリカの話だからライブに見えた、というわけではないと思う。世の中はとことんライブだ、ということだ。

 サイバー法学者レッシグの最新刊、Free
cultureを読んでいる。
 ネット上で公開されている公演日本語字幕付Flash(いずれもittousai氏提供)を見てから、ずっと楽しみにしていた。

レッシグがどういう人かは彼のblog(日本語版)にあるが、サイバー空間での権利に関してずっとわかりやすく研究してい法学者だ。

訳者の山形浩生があとがきで書いてあるとおり、これまでのレッシグの作品「CODE」に比べ、(「コモンズ」はまだ読んでない)具体的なことが中心にかかれているのでとっつきやすい。読んでる最中なので、中身がまだ頭の中で落ち着いていないけど。

この本の中で、blogについて興味深いことが書かれていた。

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「日本ではblogは主に、公開日記の形式として機能している。アメリカではまったく別の意味で、公開対話のために使っている。議論し、見方の間違っている人を批判し、政治家の意思決定を批判し、みんなの見ている問題に解決策を提案する。」(Free
culture 58ページの内容を高須がアレンジ)

つまりは対立する意見のための、喧嘩腰な議論のためにblogというシステムが使われている、ということらしい。

理由は2つ